資料詳細
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 文化財名 | 赤木城跡及び田平子峠刑場跡 |
| 附名 | あかぎじょうあとおよびたびらことうげけいじょうあと |
| 指定区分 | 国 |
| 指定種別(詳細種別) | 史跡 |
| 指定・登録日 | 1989/10/09 |
| 市町 | 熊野市 |
| 所在地 | 熊野市紀和町赤木 |
| 所有者 | 熊野市ほか |
| 員数 | |
| 構造 | |
| 年代 | 安土桃山~江戸時代 |
| サイト | |
| 概要 | 赤木城跡は、熊野川沿いの入鹿から奈良県北山村へ通じる北山街道の南側、標高220mの丘陵南端に位置する。 豊臣秀吉の弟、秀長の家来であった藤堂高虎が、天正年間後半に築いたとする所伝がある。 城跡は高さ3mの石垣をもつ主郭を中心に、南東の尾根に東郭、南西の尾根に西郭、北の尾根に北郭、東郭と西郭の間に挟まれた谷間の平坦地に南郭が配されている。石垣は自然石積で、隅石部分にも自然石が用いられるなど、天正後半頃の石垣がよく残っている。主郭南東には複雑な枡形虎口(ますがたこぐち)を設け、郭の所々に張り出しを設け防御上の工夫をこらしている。石垣の修理事業に伴う発掘調査では、戦国時代から江戸時代初期までの陶器や土器が出土し、礎石建物(そせきたてもの)も確認されているが、同時期の多くの城にみられる瓦は全く出土していない。 田平子刑場跡は、天正・慶長年間に、検地や大名の支配に抵抗した北山川流域の有力農民らが処刑されたとされている。 |