資料詳細

九鬼嘉隆墓

項目 内容
文化財名 九鬼嘉隆墓
附名 くきよしたかはか
指定区分
指定種別(詳細種別) 史跡
指定・登録日 1941/05/22
市町 鳥羽市
所在地 鳥羽市答志町字筑上805-7、806番地
所有者 鳥羽磯部漁業協同組合
員数
構造
年代 江戸時代
サイト
概要  九鬼嘉隆は鳥羽の領主で、織田信長、豊臣秀吉に仕え、水軍を率いて活躍した。
慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで、嘉隆は石田方に、息子の守隆(もりたか)は徳川方についた。戦後、守隆は父嘉隆の助命を願い、その許しを得たが、それを知らせる使者が着く前に、嘉隆は鳥羽市の答志島で切腹したと伝えられる。
 島にある「九鬼嘉隆墓」は、嘉隆の「胴塚」とされるもので、高さ約1.75mの砂岩製の五輪塔である。五輪塔の銘文は、嘉隆の孫で丹波国綾部(あやべ)藩主の九鬼隆季(くきたかすえ)が寛文九年(1669)に刻ませたものである。嘉隆の七十回忌に合わせた可能性もある。近くの山頂には「首塚」もある。