第55回県展 審査評
大賞審査評
今年度の第55回県展対象作品を決定する前に、全審査員のもとで、大賞作品を選出することを決めた。
各部門審査主任により簡潔な説明を加えてもらい、それに従って現定の選考方法により投票をおこなった。
大賞候補作品の6点は、それぞれの部門で厳しい審査を経てきた作品であり、大賞の選考が難航するものと危惧されたが、日本画の最優秀賞、馬野貴充「山吹光耀」が、過半数には達しなかったが、圧倒的多数の支持があり大賞に選出された。
秋の黄金色が美しく、斬新な構成により、柔らかな筆づかいのなかに、自然界の詩情が醸し出されていることが評価され、多くの審査員に好印象を与えたものと思われる。
大賞を逸した方々も十分な力を持っているので、今後の展開を期待する。
金原宏行(大賞審査主任/日本画部門審査主任)
日本画部門審査評
今回の応募数は、昨年とほぼ同数であり、五人の審査員が一票でも入れた作品は再度見直すことによって慎重を期した。
造形する力が問われるのはどの部門も同じであるが、日本画には表現する技術も要求され、今回は特に見るものに何を訴えたいか、その力があるものを入賞作品に選んだ。
大賞(最優秀賞)の馬野貴充「山吹光耀」は、黄土色を巧みに使い、秋色を鮮やかに表現しえており大作としてインパクトがあった。優秀賞(県議会議長賞)の吉武眞津江「花・想ふ」は構成に斬新さがあり、マチエールと色彩に情感が加わって多くの票を集めた。優秀賞(教育委員長賞)の城山正美「春近し」は冬から春にかけての風景で、まとまりがあり、誠実な描法が評価された。岡田文化財団賞の若松芙久子「鶏たち」は、女性ながら鵜骨鶏の黒と背景の岱赭色の対象が美しく、鶏の形態と構成が興味深い。中日新聞社賞の北島修「夏休み」は、一部破綻が見られるものの、夏の一日の陰影に精彩がある。見え県町村会長の岸春美「午後のひととき」は、丁寧な描写が見られ、若い女性が描き分けられている。すばらしきみえ賞の橋野悦子「海の記憶」は、単なる人物表現に終わらず、海の前に佇む夫婦の情愛が柔らかな色彩によって、見るものに伝わってくる。
展示面積に限りがあるために、絵画的で魅かれるところがある作品も残念ながら入選を見送らざるを得なかった。今後一層の応募作品の充実を期待したい。
日本画部門審査主任 金原宏行
洋画部門審査評
本年の出品数は214点、入選数は99点(46%)で、例年と大差なかった。作風は当然ながら多様であったが、我々が生きる自然や日常にせよ、社会的現実にせよ、モティーフに込めた心象表現の密度の高い作品ほど高得点を得たように思う。
最優秀賞の増田典彦《埃の中の残影》は、災禍の後の埃まみれの文明の残骸を背景に、日常生活の記憶の断片を浮沈させ、生のありようを問うている。堅実な形態描写と大胆な構成によって今回の時代感情を鮮烈に表現したもので、満票で賞に推された。優秀賞2点のうち、井上明子《散》は裸婦のクールな姿態を円環状に散らした構成が巧みで、透明感のある色彩ともども、ファッショナブルな時代のモードに軽々と共振している作者の心意が爽やかだ。また前野知恵子《ある日》では、林間に憩う鳥たちの営みに親密なまなざしが向けられ、草木の精緻な描写にも、一場に人間味を添える作者の暖かい情趣が満ちている。
名越玲子《無題》(三重県町村会長賞)は一見無造作な落書き風だが、生命の流れを鉛筆で自動記述的に記号化し、淡彩と薄紙のコラージュを丁寧に施した真摯な作で、その無垢な表情が印象的。河村美千世《'03 born》は、定めない心・薰フ在りかを不定形なフォルムと色彩のうねりによって手探りしており、この混沌とした空間の響きの中から次に現出するものに期待して、新人奨励の岡田文化財団賞が与えられた。藤田万智子《卓》(中日新聞社賞)は、青で広く浸された画面を優れたデッサンで効果的に分割し、卓上の無機的な器物に大自然と融合する有機的な生命力を与えた味わい深い作。そして上田真澄《生きる力》(すばらしきみえ賞)は、固い石くれを破って伸び拡がる樹根の生命を、洗練された描線と赤が印象的な賦彩で纏めた水彩による優れた心象風景である。ちなみに最優秀以外の6名はすべて女性であり、うち4名は60代であることを審査後に知って、時代の変化が偲ばれた。
洋画部門審査主任 下山肇
彫刻部門審査評
彫刻部門は過去10年では最も多い34点の応募があった。これは昨年の県展大賞が彫刻部門から選出されたことに端的に示されているように、意欲的な作品を県展に出品されている方々はもちろん、幅広い彫刻関係者の努力の成果であり、来年度以降のさらなる盛況が期待される。
さて審査であるが、展示スペースの制約と出品点数の増加のため、入選作品は16点となり、第49回展以来久しぶりに入選率が50パーセントを下回るという厳しい結果であった。出品内容は例年通り、具象から抽象まで、その材質も多様なものであった。そのなかで最優秀賞の評価を得た荒木紀裕《アンテナ》は、梱包用のスチールベルトを用いて、背を向けながらも身体の一部が融合している空虚な人間像によって、不在感、あるいは孤独感といった現代的なテーマを表すことに成功している。また、通常とは逆にネガの側から人体を形づくって造形手法も、現代美術の文脈の中に位置付けることができる。優秀賞の前川和司《みずぬるむ》は、木彫で女性像をオーソドックスに表現したもので、その造形にやや不確かな部分が見られるものの、この作者のもつナイーブな完成が非常に良いかたちで作品に反映しているものである。岡田文化財団賞の中尾理恵《1》は、17歳という作者の若々しい感性によって、花一輪が屈託なく自由でおおらかに表現されていることが観る者に新鮮な印象を与えるものである。また、その他の受賞作もそれぞれに作品のテーマ、材質の選択とその造形に手堅さや誠実さを示すものとして評価を得たものである。最後に、彫刻本体に作者自身が付けた台や、石膏像に施されたブロンズ風の着色などが、かえって表現を損ねてしまったものが目立ったことを今後の制作の参考として指摘しておきたい。
彫刻部門審査主任 村田真宏
工芸部門審査評
工芸は分野別に見ると陶芸が半数以上を占め、染織が続き、木竹、金漆とありました。
陶芸は県内に産業としても、萬古焼、伊賀焼を抱えるだけあって各作品の技術は一應の水準に達していた。しかし内容的に見るとき従来の花器・置物に類するものが多く、他地方に見られる造型活動的で実験を試みる様な作品が少なかった。
染織は元来の染織の範疇に入る作品は少なくファイバーアートの流れも見受けられたが、此の分野も世界的に反省期に入り減少しつつある。その中で染色の素材として重要な型紙による作品が七点出品されていたのが注目された。
其の他の分野は工芸作品というよりは手芸作品と見られる作品が多く、他の美術分野に無い工芸部門の持つ弱点というべき、工芸と手芸の違いの悩みを露提していた。
審査の結果最優秀賞に選ばれた出岡正宏の陶芸の「ペンタゴン・タワーズ」は名稱から政治的要素が含まれているのか、単たる五角の塔であるのか判明しないが、単純に美しく造型されて、陶器では困難を伴う細線による線刻で装飾を施し、釉薬では珍しい藤色に仕上がっていて最高の得票があった。
次の優秀賞(県議会議長賞)八田郁子の「ビーンズ2」で、型紙を大小の丸錐で球状を立体的に表現したものを主題にした造型作品であり、緊張感を伴って美しく、他にもあった型紙を使った作品を大きく引き離していた。
優秀賞(教育委員長賞)は水谷正の陶芸の「世界ニ平和ヲ」で、此の作品は美的感覚や技術力の問題で無く、自分の持っている表現力で世界の人々に平和を呼び掛けたい衝動で制作された力に票が集まったと思われ、芸術を目指す者も世間の埒外で無い事を知らされた。
三重県に於いての現代の工芸に於いて水準の高い陶芸の育成と白子型紙を中心とする技術に練磨された集団を、如何に美術工芸に指導していくか工芸部門として考えるべき問題と感じた。
工芸部門審査主任 伊砂利彦
写真部門審査評
県展の審査を行うのは一昨年に続いて今回が二度目であったが、前回同様、今回の応募作も総じて、高い水準にある技術と、写真への強い情熱を感じさせた。特に三重の写真界にとっては伝統というべきモノクロのドキュメンタリーやスナップショットは、写真の基本を踏まえた揺るぎないものと改めて認識した。惜しくも入選を逃がした作品の中にも、感覚のきらめきや確かな技術がかいま見られた。
応募者の年齢とも関連することだろうが、今回の審査では特に「老い」または「老人」をテーマに扱った作品が注目された。最後まで最優秀賞を争った倉田護氏の《夫婦》、あるいは三重県市長会賞の向井章氏作《一人暮し》、自然の恵み賞の西浦孝男氏作《母95歳》はいずれも、世間やマスコミで喧伝される「老人」のステレオタイプをなぞることなく、何よりもまず個々の「人間」と向き合おうとする姿勢から生まれた作品である。
写真家は、基本に忠実な写真を目指すうちにしばしば、写真の「文法」に余りにも拘束されるという事態を招く。「文法」を変更可能な手段と考えることも時に必要だ。目新しさをこれ見よがしに示すのではなく、注意深く大胆な目の働きによって現実のなかに亀裂や奇妙な形姿を見出すこと。最優秀賞に選出された岡村仲江氏作《少女》は、夕暮れの海を思わせる風景を少女の顔に見立てるという幻想的な作品である。そのダブル・イメージの映像は、一つの現実のなかから別の現実を発見する面白さを、シンプルかつ洗練された語り口で伝えることに成功した。優秀賞の上杉哲也氏作《はたらきアリ》は雑然とした日常空間に巨大アリの影が出現するという、ユーモラスでかつ不気味な風刺劇を演出した。岡田文化財団賞の松本和代氏作《お昼どき》、中日新聞社賞の郡清至氏作《門》はそれぞれ新人とベテランだが、眼前に偶然成立した興味深い秩序を、逃がすことなく巧みな構成の下に捉えている。
写真部門審査主任 倉石信乃
書部門審査評
書を学ぶ者が究極に求める悲願ともいうべき目標は、線質の練磨による独自の表現要素を駆使しての「良い書」の制作である。平面な紙面に含墨した筆の運びが、立体性を帯びて肥痩をつくり、柔剛強弱な線で字形から余白の美など多彩な表現が展開される。技巧を前に出さない無作為な作、心の高まりを如実に表わしたもの、動きを控えて清々しさを出したもの、余白の美しさを最大限に生かしたものなど、濃密な中身と熱気を帯びた漢字や調和体の作品、仮名名筆が創る雅びや紙面の処理、小さな印面に格調高い刀痕を見せる篆刻は、数こそ少ないが佳作が認められた。弦の響きが空気の中に放たれ、遊び消えゆく雰囲気が、書の流れの中に現れたらどんなにか鑑賞者の目を奪い、心の和みや躍動に繋がるのではないかと思った。恐らく基本的なものを常に身につけ、心身を整え試練に挑み、何時の日か作家独自の境地を生み出す時がくるように思う。不消化な稽古や借り物の書では、見る者を感激させることは恐らく不可能だろうと、本年もそんな反省を持たざるを得なかった。発想の独自性は嬉しいが、深められずに試行錯誤の乏しい浅薄な出品作、文字と白との不調和、余裕のないせせこましいものなど、不消化な作品は惜しくも展示できなかった。誤字紛いの字がやはり問題になるのも見逃せないことである。
書最優秀賞の作品は、墨痕鮮やかに、ただ純粋さのみを求め、冒険を恐れず豪快な筆致と構成が抜群の賞賛を浴び、今後の成長発展が期待される。
書部門審査主任 菅生攝堂