第42話  『天地明察』の命令書

斎宮千話一話 『天地明察』の命令書
 斎宮歴史博物館平成二十四年度特別展『暦と怪異』は「8月21日」より開催し、「9月28日」に終了しました。
 ええ、10月に見たよと驚かれた方も多いと思いますが、じつはこの日付は、旧暦による換算なのです。このごろはインターネットでこんなことをしてくれるサイトがあるのです、便利な時代になりましたね。
 さて、ここでいう旧暦とは、弘化元年(=天保十五年を改元 1844)に改暦された、天保暦(天保壬寅元暦)という暦です。江戸時代には、貞享暦、宝暦暦、寛政暦とこの天保暦の四種類の暦が使われました。つまり暦の改訂が四回行われた、ということです。
 ところで貞享元年(1684)に作られた貞享暦の前はどうなっていたのでしょう。実は中国から輸入された宣明暦という暦が使われていたのです。まあ暦ですから、中国のものでもさほど大きな違いはないのですが、問題なのは、この暦がじつに823年もの間、改訂なしに使われていたことです。太陽太陰暦の暦は、太陽暦とは異なり、諸事に微妙な修正が必要なものです。それを800年以上も使っていたため、さまざまな誤差がたまって、ついには立春から大寒に至る二十四節気の日がずれることにもなりました。なにしろ、平安時代初期の貞観四年(862)、つまり『伊勢物語』の斎王、恬子内親王や在原業平が生きていた頃から使われていたので、かなり不都合なものになっていたようです。さらに貞享暦が作られた頃には展覧会で展示している「三島暦」「南都暦」のような地方で作られた暦も流通していて、その内容の統一は重要な問題となっていました。しかし実際には、単に統一の暦を作ればいい、ということではなかったのです。
 最初貞享の改暦では、当時の明国で使われていた大統暦を使うことが決定していました。しかし明と日本では緯度・軽度が違うので、厳密に言えば、季節感の差によってさまざまなずれが生じ、大きな問題になることも予想されました。この当時の暦は農事暦の役割が最も期待されていたのですが、中国の四季を簡単にあてはめると、立春や立秋などは役に立たないことが多かったのです。つまり日中の経度の差を計算した、独自の暦が必要とされていたのです。

 その計算を行い、日本独自の暦を作り上げた人物を渋川春海(しぶかわ・はるみ 1639−1715)といいます。彼はもともと安井算哲という幕府の碁の家元だったのですが、天文学や暦学、陰陽道などにも通じた俊才で、その広範な知識に基づいて、天文観測が発達したイスラム文化の知識を導入して作られた「授時暦」という中国の暦をもとに、ヨーロッパ天文学の成果も取り入れ、独自の計算を加えて日本の経度にあう新しい暦を作り上げたのです。彼とその妻になった人を主人公に、この改暦を大きなテーマとして取り上げたのが、ベストセラーになり、映画もされた冲方丁『天地明察』です。この暦こそが大和暦と呼ばれ、その後幕府に公式な暦として採用され、貞享暦となった暦なのです。
 ところが暦の発行責任者である朝廷では、すでに大統暦を公暦にすることを決定してしまっていたのです。そこで緊急にこの命令を撤回し、貞享暦を使用することになりました。
 その関係資料(命令書の草稿か?)「暦と怪異」展では展示しました。
 
左中弁兼中宮大進藤原朝臣俊方傳宣、
右大臣宣奉  勅、依改暦、去春
可被用大統暦由雖被 宣下、
止大統暦、用新暦可号貞享暦、
仰陰陽暦道等博士者、

 貞享元年十月廿九日修理東大寺大仏長官主殿頭兼左大史算博士小槻宿祢

 これは博物館資料の中で、『村田家文書』と呼ばれる一群の江戸時代の朝廷文書の中に入っていたものです。村田家は高橋を本姓とした、江戸時代の地下(下級)官人で、公家の一条家に仕え、宮廷の弁官の大史(文書の起草などを務める係)の家なので、数多くの公文書の写しが保管されているのです。その中には、天文や暦を司る陰陽寮が、占い(卜占)によって色々な儀式の期日や時間を決定した報告や、それに基づいて出された命令書の写しがあります。そうした朝廷の天文・暦道に関わる公文書として、この資料は残されてきたのです。
 そしてこれ以後、朝廷の様々な儀式は、和暦と呼ばれる貞享暦やその改訂版によって運用されるようになりました。それは、平安時代以来外国の先進情報に制御されていた日本の「科学」が、自分たちの生活に合わせたより実用的なものに転換していく第一歩だった、とも言えるのです。
 そしてこの新しい暦は色々な社会生活に影響を与えていきました。たとえば伊勢神宮の遷宮の日時や時間も、陰陽寮による占いで決められていたので、この暦に基づいて日を選ぶことになったのです。神さまに関わることを、中国の道教に起源を持つという陰陽道が、イスラム文化やヨーロッパ文化の影響を受けた和暦で決定するというのも、神仏が一体となっている江戸時代らしくて面白いですね。
 こうした儀礼の日時についての陰陽寮関係の文書も今回はあわせて展示しました。特別展『暦と怪異』は、ベストセラー『天地明察』と少し関係があったのでした。


榎村寛之

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