第1話  哀悼 氷室冴子先生

 皆様もご存じの通り、去る2008年6月6日、作家、氷室冴子先生がお亡くなりになりました。享年51才。惜しんでも余りある早世でした。
 氷室先生は、高名なジュブナイル作家であるとともに、「ざ・ちぇんじ」「なんて素敵にジャパネスク」などの平安時代を舞台にした時代小説の先駆者でした。今でこそ『陰陽師』(夢枕獏)をはじめ平安時代を舞台にした創作小説はしばしば見られますが、氷室先生のデビュー頃は、平安時代の小説といえば、海音寺潮五郎の『平将門』や吉川英治の『新・平家物語』などの英雄を主人公にした実録的な歴史小説や、谷崎潤一郎をはじめとした『源氏物語』の現代語訳などが主流で、ある時代の社会を綿密に書き込み、それを背景にして創作キャラクターが自在に活躍するという時代小説(岡本綺堂とか山手樹一郎とか、最近では藤沢周平が得意としたパターンですね)はほとんど未開拓でした。そんな頃に、しかも、まだ「ラノベ(ライトノベルズ)」という言葉すらなく、少女小説と呼ばれていた分野に、平安時代小説の最先端を行く作家が颯爽と現れたのです。
 今さら言うまでもなく、氷室先生の作品は、歯切れのいい文章と、あっけらかんとした現代性を生かした、とても平安時代とは思えないリズミカルで快活なストーリー運びが特徴でした。現代の高校生が主人公の『雑居時代』や『蕨が丘物語』などの登場人物と共通した感覚のヒロインが平安時代にいて、という設定はかなり強引なのですが、読み進めていくうちに次第に不自然ではなくなってくるのです。荒っぽい舞台づくりの子供だましか、と思って読み始めると抜けられなくなる、そんな不思議な世界です。
 なぜ抜けられないのかはよく読んでいくとわかります。実に綿密に計算された物語づくりとともに、並々ならぬ知識に裏打ちされた教養、そして行間からあふれでる「古典が大好き」という雰囲気に取り巻かれてしまうからなのです。つまり読み手は軽い気持ちで小説の世界に入っていって、気が付けば作者に絡め取られているのです。
 そして、読み終えると、いつか実際の古典を読みたい、という気になっているのです。それは、氷室先生自身がすぐれた古典の読み手だったからにほかありません。
 そのため、筆者が知る範囲でも、「古典や歴史の研究を志したきっかけは、氷室先生の作品に接したことでした」という研究者は、特に若手の女性研究者を中心に少なくないようです。
 そう、氷室小説は、「古典の現代的再生」に成功した希有な例なのでした。
 その氷室先生が斎宮歴史博物館に初めて来られたのは、1999年「氷室冴子先生と斎宮を歩く」、という企画のメインゲストとしてでした。リニューアルした博物館から開館したばかりの体験館まで、史跡の中を公募された参加者とともに歩き、体験館ではトークと質問タイムをもっていただいたのでした。
 そして二度目は2001年、雑誌コバルトの取材でした。この日は氷室先生のご意向による、腰を据えての特集本の取材ということもあり、二日にわたって三重県に滞在され、博物館やいつきのみや歴史体験館をじっくりと見学されました。いつきのみやでの十二単の試着や貝覆い体験など、十二分に斎宮を満喫していただいたものです。

 じつはその頃、氷室先生はすでに、ほとんど新作を書かない時期に入っていました。その原因が奈辺にあったのか、うかがい知れる所ではないのですが、筆者がお会いした時には明朗快活で、他愛ない冗談にもケラケラ笑って、とても筆を折った、どころか、筆を休めた人、という印象すらなかったものでした。
 しかしその後、氷室先生の平安時代新作が書かれることはついにありませんでした。ウェブでの情報からうかがえるのは、ここ三年ほどは闘病生活を送っていらしたこと。その中で、
 
いつかはともかく、ご自分の命が限られていることを知られてからは、お墓や戒名の手配、口座や色々な会員カードなどの整理などもなされ、ご自分の葬儀の打合せを葬儀社の人とする…というようなことまで、しっかりこなされました。決して悲観的になることなく、最善と思われる道を進まれました。
              http://nerimadors.or.jp/~saeko/ より

ペーストしてすいません。この文章は自分の言葉で書けませんでした。
 
 ご葬儀では、自身で選ばれた写真によるメモリアルコーナーが作られ、その中で、いつきのみや歴史体験館で貝覆いを楽しむ氷室先生、という場面もあったのだそうです。
 この話をうかがって、「新・斎宮百話(斎宮千話一話)」としては、これは書かないではいられないので・・・泉下の氷室先生お許し下さい。
 それは、斎宮百話・第8話で少し書いた、「新作の構想」の話です。じつはコバルトの対談の時に、斎宮を舞台にした平安時代小説の新作、という話で盛り上がったのです。

1. 主人公は斎宮に仕える筆頭女官、内侍にしよう。
2. 彼女は正義感が強く、そのために都にいられなくなって斎宮に転勤してくる。少しぶーたれながらもやる気はいっぱい。
3. 斎宮に着く直前、里の娘のようなお転婆で快活な、しかし少し不思議な少女に出会う
4. 斎宮について、斎王と対面した時、斎王の座にいたのは、その少女だった。
5. お転婆で型破りな斎王を中心に、内侍の視点から物語は進む。彼女らをとりまく貴族たちの思惑、伊勢神宮や朝廷を巻き込む陰謀などに、聡明な斎王と賢明な内侍の少女コンビが、時には弥次喜多のように、時にはホームズとワトソンばりに立ち向かっていく。

・・・平安時代の雰囲気や斎王の儀式など、斎宮ならではの要素を生かして、物語を進めよう。

「うん、これなら書ける」とおっしゃった氷室先生の声が忘れられません。
 それから7年、あの時のことを覚えてらしたんだなぁ、と思い返しつつ、執筆の時はいざ鎌倉で、何を置いても協力を惜しまない、という、ついに実ることのなかった約束だけが筆者の胸中に刻まれました。
 それにしても、氷室冴子という名前にどれだけの人が支えられ、勇気づけられ、求めるべき道を示唆されたか。
 改めて御冥福をお祈りいたします。
本当にありがとうございました。

(学芸普及課 課長 榎村寛之)

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