第7話  羊は羊?

 斎宮跡出土の代表的な遺物の一つに「羊形硯」があります。別に写真も公開しているので、ぜひご覧いただきたいのですが、わりあいに印象の強いものですので、ああ、あれか、と思われる方も少なくないのではないでしょうか。

 さて、羊の頭の飾りをつけた硯は非常に珍しく、平城京で2例あるほか、全国で5例とない「貴重品」だとされます。こういう動物などをかたどった硯のことを「形象硯」といいますが、割合に多いのは鳥形、それも首の長い水鳥の形をまねたものです。水鳥はまさに池や川に浮いているから、硯にして水を張っても「サマになる」のです。そして古墳時代の鳥形埴輪以来造形としてはずっと好まれているので、硯にもそのデザインが使われるのは納得できます。では、羊はなぜ硯になったのでしょう。

 羊は奈良時代の日本にはいない動物で、『日本書紀』の推古天皇紀に、ラクダとロバといっしょに百済国から送られたとわざわざ記してある位珍しかったようです。たしかに中国ではさほど珍しくない家畜ですが、筆者聞きかじりによると、あのムクムクの毛皮のせいで暑さと湿気に弱く、すぐ湿疹ができるとかで、本州での飼育には適さないということです。かの万能蘭学者の平賀源内先生が綿羊の飼育に失敗したのもその理由だったとかで、だから日本では珍しいのだそうです。たしかに今でも羊が見られる所といえば北海道や「高原の牧場」ですね。

 しかしそのデザインは、正倉院の宝物にもしばしば見られ、羊柄のカーペットなんてものもありましたから、「こんなかっこの動物」、という程度のイメージは、律令貴族層位にはあったのではないかと思います。

 しかし、しかしです。なぜ硯になるんだろう、という疑問がやはり残るのです。珍しい動物なら、トラでもライオンでもゾウでもいいじゃないか、と思うのですね。なぜ乾燥地帯が好きな羊が水に関わる硯になるのでしょう??

 この疑問については博物館のお客様からも寄せられたことがあります。で、今までは、「角のある動物は、一角獣や麒麟や竜のように、聖なる生き物と考えられていた。実在の動物でも、サイの角やシカの角は漢方薬になっている位だ。だから絵だけあって実物を見る機会の無かった羊は、一種の異国の霊獣とみられていたのではないか。」
と答えていたわけですが、どうもやっぱりしっくり来なかったのです。

 ところが先日、ひょんなことから、これが正解?という答えがあったのです。
 事の起こりは、『月刊百科』という本に連載されている『妖魅変成夜話』という岡野玲子さんのマンガでした。(漫画・劇画・コミックなど色々な表現がありますが、筆者は20年ほど前にあった「マンガ少年」という雑誌のファンでしたので、もっぱらこの表現を使います)。その単行本の第二巻の中に、美女が羊のような動物の群を連れていて、その動物を「雨工です」と紹介する場面があったのです。
 そこで早速『大漢和辞典』に当ってみると、あったあった・・・。

 【雨工】雷雨に伴つて降るといふ獣(中略)。
〔唐書、五位志〕乾符三年に、洛陽建春門外に、暴雨の時に変なものが降ってきた。黒い羊のようなもので、物を食べない。やがて地中に消えたが、その跡は一ヶ月もの間消えなかった。雨工だという。
〔異聞録〕。柳穀がテイ川という所で羊を牧する婦人を見た。婦人は、「これは羊ではなく、雨工です。」と言った。何故雨工と言うかというと、雷・稲妻の類だからだそうだ。

 実は『妖魅−』の雨工がでてくる場面は後者とほとんど同じなのです。
 さて、『唐書』はともかく、『異聞録』についてはよくわからないので、中国の文献に大変詳しい埋文センターの田阪仁主幹(元本館学芸課長、ありがとうございました!)におうかがいしたところ、早速色々と調べていただきました。その結果、『異聞録』という本は清朝のものなどいくつかあるが、古いものとしては元末明初の陶宗儀という人の編による『説郛(せっぷ)』という叢書に、唐の著者不明の『異聞録』がある、という懇切丁寧なお返事をいただきました。これがその出典だとすると、『唐書』と同時代となります。つまり、羊形硯が作られた頃に、唐の国では、羊そっくりな雨の怪獣、雨工という動物がいると信じられていたのです。

 とすれば、この「羊形硯」といっているものは、実は、「雨工形硯」ではないのでしょうか。雨の怪獣なら水とも関連が深いから、背中に水を背負う形象硯になっても不思議じゃないし、土に潜るのなら、土からできる焼き物にはぴったり、もしかしたら、当りかも・・・。
 中国では儒教では「怪力乱神を語らず」とはいいながら、『山海経』などの地誌類で、じつに色々な怪獣や怪人が語られています。また、殷周時代の青銅器にもそうした怪獣の姿が描かれていたりして、その想像力たるや驚くべきものです(そういえば中国の殷周頃の青銅器によく見られるそ饕餮〔とうてつ〕という怪獣ももともとは羊の形だったと聞いたことがあります)。

 しかし、そうした怪獣のイメージが日本に伝わっていたかどうかはよくわかっていません。の意味では案外、羊形硯は面白い問題を提起している可能性があるのです。
 でも先にふれましたように、岡野さんの描いていたシチュエーションは『異聞録』そのままだったから、少なくとも『大漢和辞典』は見てらっしゃるはずですね。それにこの頃は、こういうマンガ家さんには誰か研究者がブレーンになってることも多いので、この話、もう誰かが唱えている説なのかも知れません。

 そやけど、あれが雨工やったらちょい困るなぁ、博物館キャラクターの「ものしり博士のひつじい」が「雨工じい」になったら、「意固地」みたいで語呂が悪いやん・・・(学芸員の心のつぶやき)。

(榎村寛之)

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