第25話  羊さん出ないかな

 久しぶりの斎宮百話です。しかし暑い〜ですね。でも少し仕事が忙しかったから書かなかっただけで、筆者が暑くてのびていたんじゃありませんよ。
 さて、その暑い中、斎宮では第137次調査が始まろうとしています。詳しくはお知らせのページでご覧頂くとして、筆者の興味は別のところにあります。
 今回の調査区は奈良時代の斎宮中心部分の可能性がある所のなのですが、奈良時代の遺物というのは、なかなか興味深いものがあるのです。
 例えば斎宮発見のきっかけとなったといわれる蹄脚硯、大型の高級品の硯です。それから緑・黄・茶の三彩陶器の破片、中国産か国内産か、いずれにしても高級品。そして展示ホールの真中にまします朱色に塗られた大型土馬、これだけ大きい土馬は全国でこれだけ。さらに全国で数例を数えるだけの羊形硯、羊が日本にいなかった時代ですから、このデザインがいかに不思議なものだったか、雨工という想像上の動物の可能性も含めて、興味深いものです。これらはみんな奈良時代の遺物なのです。
 つまり奈良時代の遺物には変わったものが多い、もっとていねいな言い方をすると、国際色豊かなものが少なからずある、ということになります。まだ奈良時代には伊勢神宮に付属する神宮寺があったくらいで、伊勢神宮の仏教排斥もそれほどではなかったはず、しかも、新羅国などから方物(ほうもつ=贈り物)があれば、伊勢神宮へも献上していたわけですから、斎宮に国際色があってもおかしくないのです。よく平城京はシルクロードの西の終着駅と言われますが、斎宮もまた、終着駅から出る支線の一つの終着駅、くらいのものだったようです。
 しかし面白いのは、それが奈良時代の斎宮の組織としてのグレードに直結しないことです。9世紀になると、緑釉陶器や灰釉陶器などが出てきて、質のいい器の数は飛躍的に増えます。逆にそれ以前は日常の器には大したものがない、という言い形もできるのです。
言わば奈良時代の斎宮では、限られた一部の人だけが高級な生活を送り、その周囲に仕える人たちは、庶民とそれほど変わらない暮らしをしていたように考えられるのです。
 そこには、斎宮寮の官人組織の未発達や、行政システムの未整備などの理由がうかがえるのですが、発掘調査の結果、ごく限られた地区にのみ建物跡が集中する、とかいう結果が出ると面白いな、と思います。考えてみれば、天皇や貴族がインターナショナルな文化を謳歌する一方で、都の建設や高い税に庶民が疲弊するという奈良時代の社会をそのままに映しているようでもあります。
 現在まで奈良時代の斎宮跡の調査は、中心部分より外れた北側で行っていた、と考えられています。そこでもこれだけの発見があるのだから、中心部分に近い所を掘る今回の調査では果たしてどんなものが出るのでしょう?はたまた中心に近い所はきれいに掃き清められていて、遺物面では丸っきりの「スカ」なのかも知れません。
 それにしても、天平文化の残り香を伝えるような遺物が出ると楽しいな、と筆者などはミーハーに思うのです。話題にもなるし、展示に花を添えることもできる。正直、平安時代の遺物は実用的に過ぎて、人目を引くようなものはいささか乏しいのです。何かとんでもない奇妙奇天烈な遺物が出ないかな、三彩の盆の破片とか、螺鈿(らでん)装飾の鏡の破片とか、羊さんみたいな変な装飾品とか、正倉院の宝物級の遺物の破片なんかが出ると楽しいなと、ひそかに期待しているのです。

(主査兼学芸員 榎村寛之)

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