第20話  歴史ロマン広場開園によせて

 斎宮という制度は、高校の歴史教科書にすら載っていません。だから同じ古代の官司の遺跡でも、大宰府や多賀城に比べて知名度が大変低いというのが、学芸員の悩みです。
 ところが最近になってわかってきた面白い事実があります。というより、少し考えてみたら当たり前だったのですが、意外な盲点。
 高校の古典文学の副教材に斎宮が出てくることがあるのです。例えば『万葉集』の大来皇女の歌や『源氏物語』の「賢木」の巻の解説などには斎宮が出てくるわけです。よく考えてみると、筆者自身が斎宮という存在を強く意識したのは、大学の一般教養の国文学講座での『万葉集』でした。
 ところが、国文に出てくる斎宮のイメージは、といえば
  『万葉集』   夜明けの朝露に立ち濡れる大来皇女
  『伊勢物語』  業平のもとに忍んでくる恬子内親王
  『源氏物語』  冬枯れの野宮の物寂しげな風情
  『更級日記』  雪の夜に昔を語る年老いた女官
 と言った具合で、いずれを取っても、世間と離れた、いたってうら寂しい世界です。だから、斎宮といえば、世間から忘れ去られた、物哀しい宮殿という雰囲気が国文学の先生方の間には強いようです。
 ところが歴史の分野でいうと、斎宮は十二の司があり、寮の長官は国司級で、『延喜式』にかなりの分量の規定がある、かなり盛大な組織というイメージがあります。どうも歴史学と国文学では割合にイメージのずれがあるようです。
 その傾向が顕著に現れるのが、博物館で展示している1/400の斎宮模型を見た時です。「こんなに大きな所だったんですか」とびっくりするのは大抵国文学の先生や学生さん、物語の斎宮イメージとのギャップにとまどうようです。
 こうしたイメージの違いのせいか、大学の卒業論文でも、歴史の学生さんは年に何人か博物館に勉強に来ますが、国文の学生さんは割合に少ない、という傾向かあります。国文の世界では、斎宮は「暗い」のでしょうか。
 そうした「うら哀しい」斎宮のイメージをより具体的に改める展示ができました。斎宮駅北側に3月3日に開園する斎宮全体模型です。史跡全体を1/10に縮小し、方格地割の内院部分などは、発掘調査に基づいて、八世紀末期の斎宮を再現しています。大型の建物が立ち並ぶ内院の様子は、最盛期の斎宮を思わせるには十分な効果があるもので、全国的に見ても、野外で上から見下ろす遺跡復元は極めて珍しいものです。
 この模型で史跡全体の様子を把握し、体験館で色々な体験をして、色々な情報を取って史跡の中を見学し、博物館に行く。または、博物館を見学し、模型を見てから史跡を歩き、最後は体験館で歴史体験をする。こんな一日コースが可能になりました。
 斎宮見学の新しい可能性が開けるといいなあ、と博物館一同思っております。

(主査兼学芸員 榎村寛之)

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