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斎宮歴史博物館 > 斎宮跡の発掘 > 発掘最新情報 > 今年度の調査情報

奈良時代の斎王宮殿域の「正殿」が新たに発見されました!

 斎宮歴史博物館では、平成28年度から斎宮跡の史跡西部において、飛鳥・奈良時代の斎宮中枢域の発掘調査を行っています。令和4年度からは5箇年計画として、奈良時代の斎宮中枢域の実態解明を重点的に進めています。
 飛鳥時代の斎宮中枢域は、北から東に約33°振る方形区画(斜方位区画(しゃほういくかく))となりますが、奈良時代の斎宮中枢域は、概ね正方位(せいほうい)をとる東西2つの方形区画(東・西正方位区画)に変遷する特徴があります。令和5年度の第205次調査は、「東正方位区画」の内部空間の実態解明を目指して進めました。

①令和5年度の発掘調査地点
令和5年度の発掘調査地点

斎宮中枢域とは?
 掘立柱塀で方形に区画された施設を指し、これらを「斎王宮殿域」と推定しています。飛鳥時代の斎王宮殿域(斜方位区画)には、天武朝(てんむちょう)の大来(おおく)皇女、文武朝(もんむちょう)の当耆(たき)皇女・泉(いずみ)内親王・田形(たかた)内親王、奈良時代の斎王宮殿域(東・西正方位区画)には、元正朝(げんしょうちょう)の久勢(くせ)女王・井上(いのえ)女王(聖武[しょうむ]天皇即位後は井上内親王)、聖武朝の県(あがた)女王、孝謙朝(こうけんちょう)の小宅(おやけ)女王、淳仁朝(じゅんにんちょう)の山於(やまのうえ)女王といった歴代の斎王が入った斎宮にとって中心となる施設とみられます。


飛鳥・奈良時代の斎王宮殿域とその周辺

「東正方位区画」の調査成果
 東正方位区画内では、「正殿(せいでん)」と「東脇殿(東第一・二堂)」・「西脇殿(西第一堂)」が発見され、奈良時代の斎王宮殿域の空間構成が分かってきました。


東正方位区画〔奈良時代の斎王宮殿域〕の遺構配置図

正殿の構造と規模
 四面廂(ひさし)をもつ桁行(けたゆき)7間×梁行(はりゆき)7間の東西棟の掘立柱建物で、さらにその南北には孫廂(まごひさし)をもつ構造となります。身舎(もや)は、桁行5間×梁行2間の東西棟2棟を前後に並べ(前殿+後殿)、その間に1間分の相の間(あいのま)を繋いで一つに結合しています。平面積は身舎部分で約128㎡、廂を含めると約255㎡、孫廂までを含めると約304㎡と推定され、斎宮跡の建物跡の中で最大規模です。こうした「八幡造(はちまんづくり)(双堂・[ならびどう])」の建物形式に廂を付けた建物構造は、全国的に他に例がありません。斎王のための特別な殿舎と考えられます。


正殿の構造(北上空から)


飛鳥・奈良時代の斎王と「宮殿」


正殿(北上空から)


正殿(東から)

奈良時代の斎王宮殿域にかかる調査研究の意義
 光仁朝(こうにんちょう)の酒人(さかひと)内親王の宮殿域が史跡東部の鍛冶山(かじやま)西区画(内院[ないいん])へ遷るまでの奈良時代の斎王宮殿域について、考古学による実態解明が大きく前進しました。実態が判明している斎宮の初現期の飛鳥時代から盛行期の平安時代に至る斎王宮殿域について、その変遷が明らかとなる重要な知見を得ました。
 令和6年度以降も奈良時代の斎王宮殿域のさらなる実態解明を目指して、発掘調査を進めていく予定です。ぜひご期待ください。

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