飛鳥・奈良時代斎宮確認調査から柳原区画解明調査まで(平成14年度から平成24年度まで)
斎宮跡解明の次なる目標を飛鳥・奈良時代の斎宮の所在地ならびにその範囲を確認することに置かれました。そのため、これまで飛鳥・奈良時代の斎宮跡地と想定されていた史跡西部の中垣内地区を中心に平成14年度から18年度にかけてトレンチ調査による範囲確認調査が実施されました。その結果、掘立柱建物群が随所で確認され、聖武天皇の娘、井上内親王の斎王ト定に伴う斎宮寮の官制整備に連動した措置ではなかったかという見解も出されています。また近鉄線を挟む最も高所では、掘立柱塀を伴う区画が2時期以上にわたって確認されており、中枢施設との見方が有力視されています。このほか、古代伊勢道から分岐してこの区画に向かって南下する道路遺構も見つかっています。したがって飛鳥・奈良時代の斎宮は、この道路遺構から台地縁辺部にかけての一帯に存在することがほぼ確定的となりました。
一方、史跡東部において学術調査に基づく本格的な復元整備を望む声が高まり、これに向けた調査が、平成19年度から3か年をかけて柳原地区を中心に行われました。当該地区には、内院地区に次ぐ規模の大型掘立柱建物や庇(ひさし)を有する建物が集中する地区として注目されます。とりわけ区画の中心部で200年以上にわたり5回建て替えられている四面庇付建物は、全国的にも例がなく、その性格は斎宮寮の寮庁の中心的な建物であることが想定されます。今後、これらの成果を活かした史跡整備に期待が高まっています。
飛鳥・奈良時代斎宮の中枢施設
奈良時代斎宮の掘立柱塀跡(第146次調査)
柳原区画の中心建物