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斎宮歴史博物館開館から斎宮跡歴史ロマン広場完成まで(平成元年度から平成13年度まで)

 史跡指定から10年目の節目にあたる平成元年(1989年)10月、斎宮跡の調査・保存・活用の拠点として斎宮歴史博物館が史跡西部の古里地区に開館しました。史跡内に建設することから、盛土・ベタ基礎工法により地下の遺構を完全に保存するかたちで建設されました。この開館を契機に組織の充実が図られるとともに、従来からの発掘調査に加えて、展示、各種講座、普及公開活動にも力が注がれるようになりました。
 この期の発掘調査は、斎王の居所とされる内院地区の実態解明が最重点課題であったため、平成2年度から12年度にかけて史跡東部の鍛冶山西(かじやまにし)区画・西加座(にしかざ)区画・東加座(ひがしかざ)区画・牛葉東(うしばひがし)区画等で精力的な調査が行われました。その結果、鍛冶山西区画で二重の大型掘立柱塀(・穴ヤ10尺等間)に囲まれた内郭・外郭を擁する内院区画(寝殿推定箇所)の北縁部や、その西隣の現在竹神社敷地となっている牛葉東区画で「出居殿(でいどの)」と目される区画の一部及びそれらの変遷が明らかになりました。また西加座地区では、逆L字形の建物配置をとる「神殿」やその北側で16棟の倉庫群から成る「寮庫」なども特定されました。このほか、20数次に及ぶ調査の積み重ねにより、史跡中央部を斜めに貫通する古代官道「伊勢道」の考古学的検証や、史跡北部を弧状に迂回する鎌倉大溝の実態解明も進み、斎宮の成立や廃絶を考える上で重要なデータが蓄積されました。
 この期で注目される出土遺物には、「蔵長」、「目代」、「少允殿」といった官職名を記した墨書土器や羊形硯、鳥形硯などがあり、斎宮ならではの重要な資料の発見が相次ぎました。
 史跡の活用面では、近鉄斎宮駅北部において、平成8年度から平成13年度にかけて大型史跡整備事業として、平安文化を体験する体験型学習拠点として「いつきのみや歴史体験館」、10分の1史跡全体模型、外周柳並木道等が整備されました。

斎宮歴史博物館
斎宮歴史博物館

内院区画最大級の掘立柱建物
内院区画最大級の掘立柱建物

10分の1史跡全体模型
10分の1史跡全体模型

斎宮跡調査全体図 発掘調査で明らかとなった方格地割・古代伊勢道・鎌倉大溝 網目:掘立柱塀の巡る区画】
斎宮跡調査全体図
【発掘調査で明らかとなった方格地割・古代伊勢道・鎌倉大溝 網目:掘立柱塀の巡る区画】

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