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第101話(番外編1) 御城内御建物作事覚四


2階にあった太鼓の図

2階にあった太鼓の図

太鼓櫓の図

太鼓櫓の図

御城内御建物作事覚四  津城を詳細に記録

 県に残された明治期を中心とした行政文書の県文化財指定を記念し、11月3〜7日(4日を除く)に、県立図書館2階の文学コーナーで、県行政文書文化財指定特別展示「県庁に残された文書・絵図」が開催される。今回から3回にわたり、出品する資料を紹介する。
 初回は「御城内御建物作事覚四(以下『作事覚』)」だ。字体や紙質、内容などから、近世後期から明治初期にかけて作成されたようだ。1993年、「県庁所蔵絵図類目録」に掲載し、その後、県のホームページに目録を紹介した。ホームページを見た広島大文学部の大学生だった松島悠氏が05年、津城に関する卒業論文を執筆された。そのことがきっかけとなり、徐々に注目されるようになった。
作事覚は、縦27センチ、横20センチの冊子形態で、主に平面指図と建地割図(立面図と断面図)、文字記録で構成されている。松島氏によると、1662(寛文2)年の大火後の津城再建に用いた指図で、本丸周囲の櫓(やぐら)・多門櫓・門などについて詳細に記述されており、建築学上、第一級の資料という。
太鼓櫓を例にしてみる。太鼓櫓に関しては「県史資料編近世2」にも「御秘録」という資料を収録している。それからは、1732(享保17)年当時の太鼓櫓が高さ2丈9尺7寸(約9メートル)、石垣高土より2丈(約6メートル)で、下重が4間四方、上重が3間四方であったこと、石垣より桁(けた)上までの高さや窓数、弓・鉄砲狭間(てっぽうさま)数が分かるだけだ。
一方、作事覚は太鼓櫓周辺の平面図に続き、太鼓櫓の立面図、断面図と平面図が記され、それぞれの階についての説明書きがある。図が記載されていることで、櫓の形や内部の様子なども詳しく分かる。また、文字部分には弓狭間、鉄炮狭間、多門櫓からの下の階へのはしごや2階へ上がるはしごの仕様が記されている。さらに、破風(はふ)や柱の寸法なども細かく書かれている。
そして、最後に2階に設置されていた太鼓の図も記されている。それによれば、太鼓は台の上に載せられ、大きさは差渡し(直径)3尺(約90センチ)、長さ3尺3寸5分(約1.1メートル)ほどだった。1階にも太鼓があり、それは「苧(ちょ)綱にて釣(つり)」とあるので、天井からつられていたことがわかる。差渡しは3尺2寸5分、長さ3尺3寸3分と、2階より直径が大きなものだった。
このように作事覚は情報量が豊富で、そこからは津城にあった建物の詳細を知ることができる。今後、この資料が津城の保存整備や街作りに役立つことができればいいと思う。

(三重県史編さんグループ 藤谷彰)

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