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第72話 「西国巡礼道中細見増補指南車」


西国巡礼道中細見増補指南車

西国巡礼道中細見増補指南車

「西国巡礼道中細見増補指南車」  興味深い行程、旅姿
       
 江戸時代、春は最も旅をする人が多かった季節だ。武士も自由には諸国を往来できなかったが、旅の目的が神社仏閣への参詣であれば、庶民でも比較的許可が得やすかった。しかも寒さが和らぎ、また田植えの準備で忙しくなるまでのこの季節は、最も自由が利いた。そんな旅の書物「西国巡礼道中細見(さいけん)増補指南車」を紹介しよう。
 1806(文化3)年に南紀粉川(こかわ、和歌山県)の大坂屋長三郎が刊行した。表題にいかめしい文字が居並ぶが、旅をする人々には欠かせない旅行ガイドブックのようなものだった。西国巡礼の由来に始まり、三十三番各札所の御詠歌、江戸から伊勢に至る行程と主要宿場、伊勢から札所を巡る道程と名所などが記されている。
 興味深いのは、江戸からの行程が記されていることだ。当時、関東や東北地方から伊勢参宮を行う富裕層の中には、その後続けて西国三十三所巡礼を行う人々が少なからずあったらしい。この書物はそういう人たちをターゲットに作られたのかもしれない。
 写真の挿絵は、女性4人が西国巡礼の旅に出かけようと準備をしているところで、巡礼の際に身につける菅笠(すげがさ)や笈摺(おいずり)に僧侶が文字を書き入れている。供の者だろうか、ふすまの外から道中案内らしき横帳を片手に旅の仕度を見守る姿もある。 
 伊勢参宮を終え、四国三十三所の一番霊場・那智山の青岸渡寺を目指す人々は、熊野街道への分岐点、田丸(玉城町)で装束を整えたという。挿絵は、田丸の旅籠(はたご)の一風景のようだ。「西国三十三所名所図会」の田丸城下の挿絵にも、菅笠や笈摺などを売る店が描かれ、賑(にぎ)やかな田丸の往時がしのばれる。
三重県には西国三十三所の札所がない。しかし、伊勢参宮を終え田丸から始まる一番札への急峻(きゅうしゅん)な道程そのものが、山海の豊かな自然に育(はぐく)まれた聖地だったといっても過言ではないだろう。
 ところで、巡礼者の持ち物として忘れてはならないものに納札がある。寺社に参詣した証に奉納する札で、写真の挿絵にも僧侶の横で束になったものが描かれている。近年5000枚に及ぶ納札が熊野市大泊町でかつて善根宿(ぜんこんやど)を営んでいた個人宅から発見された。無料で宿を提供された貧しい巡礼者がそのお礼にと置いていったものだ。
 この納札を市民団体「熊野古文書同好会」が2年余りの歳月をかけて調査、研究した。報告書の刊行にあたり、三重大学の塚本明教授が学際的な支援に取り組み、県立博物館も全納札の写真撮影で調査に協力した。県立博物館の移動展示「巡礼の道−伊勢参宮と熊野詣」を調査結果の発表の機会と位置づけ、市民団体の方々には企画段階から展示活動に加わっていただき、多くの市民の参加があった。県民が主体となる活動に、地元の大学や博物館が連携して支援を行った今回の取り組みは、まさに新しい県立博物館が目指す方向性を形にしたものとなった。
   

(三重県立博物館 宇河雅之)

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