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第69話 江村の庄屋伝来の土地売買証文


無年季的質地請戻し慣行の文言のある土地売買証文

無年季的質地請戻し慣行の文言のある土地売買証文

江村の庄屋伝来の土地売買証文 何年たっても土地戻す

 古文書調査に携われる人材育成のため、県史編さんグループと県立博物館が「古文書調査法研修講座」を開き、古文書の基礎的知識の習得だけでなく、最終的には原文書を用いて調査整理を行う講義を行っている。
 今回紹介するのは、津藩領江(え)村(現四日市市)の庄屋だった家に伝来していた土地売買に関する複数の証文で、県立博物館が購入し、この講座のテキストとした。土地売買に関する証文は通常、「永代売り渡し申す田畑の事」「売り渡し申す田地の事」などの事書(ことがき、表題)に続き、土地の面積、場所、石高が記されている。そして「よんどころなき」「年貢に差し詰まり」など、土地を売り渡す理由が書かれ、売り渡す金額が記されている。返済期限、利子などの付加条件も書かれ、本人のほか証人や村役人の署名・押印がある。
 この証文は、事書に「元金返し売り渡し」「元返しに売り申し」「元米返り売り渡し」などの文言が入っている。土地を売り渡した以上、管理や年貢諸役は購入者が行うこと、そして、「幾年過ぎても元金(元米)を返せば」土地を請け戻すことができる、いわゆる「無年季的質地請戻し」の慣行が記されている。
 その中に、1763(宝暦13)年に江村の太兵衛が、面積4畝(せ)12歩、石高7斗4合の上田を8俵で同じ村の権右衛門に売り渡した証文がある。裏側の端に後年記した文字があり、「明治四未年儀右衛門より受戻」「定右衛門」と書かれていることから、この土地が108年後の1871(明治4)年に、権右衛門の子孫とみられる儀右衛門から、太兵衛の子孫と思われる定右衛門へ請け戻されたことが分かる。
年季を限っての土地売買証文もある。一例として、10年間だけ土地を売り渡した場合、10年間は請け戻せず、期間満了後、元金や元米を返せば何年経とうとも請け戻すことができた。
 そして、土地の請け戻しの際には「米を確かに請け取ったので田地を残らず戻し申す」というように、「戻し手形」が発行された。
 こうした無年季的質地請戻し慣行は、断定はできないが、江村では元禄期(1688〜1704)ごろ始まり、1872年ごろまで継続したようだ。家の成立や存続という観念が形成される時期から地租改正という土地制度の変革の時期までにあたる。
 この慣行は他県でも見られ、県内では旧安濃町域(現津市)の津藩領の村落で見られる。ということは、地域性というよりは、津藩の政策の結果とも考えられる。百姓株の固定化や検地帳への復原がこの慣行の理由だったとの研究もある。
 ほとんどは借入金や米を返済することで土地が請け戻されたが、買い取った土地に屋敷が建っているなどの理由で請け戻しがされず、替地をあてることもあった。
 それにしても、108年たって金や土地の価値、耕地の様子も変わっていただろうに、借金を返して土地を請け戻されたという事実は、現代からみれば驚くべきことだ。
                  

(三重県史編さんグループ 藤谷彰)

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