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第65話 熊野の省営バス関係資料


B型旅客自動車(国産ボンネットバス)の縮小図

B型旅客自動車(国産ボンネットバス)の縮小図

熊野の省営バス関係資料 地域の歴史明らかに

 ステンレスのボディーに鮮やかなオレンジ色の帯をつけたJRの特急南紀号は、名古屋−紀伊勝浦間を3時間半余りで走り抜ける。南紀号が走る紀勢本線が全通したのは、1959(昭和34)年7月15日。昨年、全通50周年を迎え、沿線でさまざまな記念イベントが開催されたことも記憶に新しい。
 紀勢本線が全通する前は多気駅−尾鷲間が紀勢東線、紀伊木本駅(現在の熊野市駅)以西が紀勢西線と分断されていた。その区間を結んでいたのが36年に開業した省営バスだった。
 省営バスは、鉄道省(のちの運輸省)が経営管理していたバスで、「鉄道建設既定線」における工事の進ちょくに合わせ、「地方交通の不便」を解消するために走行させた。
難所の矢ノ川(やのこ)峠を抜け、2時間40分余りで1日6往復していた。ただし、当初は紀勢西線も紀伊木本までは延びておらず、バスが上木本から紀伊木本間で運行されたのは40年のことだった。
この時の関係文書が県庁に残されている。それが「上木本・紀伊木本間省営自動車運輸実施関係書」と表紙に書かれた綴(つづ)りだ。紀勢西線が紀勢中線を編入する形で紀伊木本駅まで延伸された時のものである。
 綴りには延長に必要な道路改修工事の概要や木本町の延長許可陳情書が含まれている。同駅前まで乗り入れるため、都市計画街路として整備された道路が、現在の記念通りだ。工事図面では、道路は獅子岩のそばを通り、隣の有馬村まで拡張整備されることになっており、現在の国道42号とほぼ重なっている。鉄道開通を機に都市計画が進んだ様子がうかがえる。
 添付図面には「尾鷲・上木本 上木本・木本駅間自動車道路平面図」として5万分の1の地形図がある。この地形図は32年に発行されたが、尾鷲側からぐんぐんと高度を稼ぎながら、矢ノ川峠でループ状になっている様子が分かるだけではなく、27年に開業し、省営バスが走り出す36年まで私営の紀伊自動車が営業していた「安全索道」(今で言うロープウェー)も書き込まれていて、実に興味深い。
 また、開業時に使われた「B型旅客自動車」と呼ばれた国産ボンネットバスの10分の1の縮尺図なども添付されており、開業当時の姿がよく伝わってくる。
 省営バスが走った矢ノ川新道と呼ばれたルートは、改修された道とはいえ、断崖絶壁を縫うように走る厳しい路線には変わりなく、豪雨だけではなく、冬季の積雪にも悩まされたらしい。省営バスは、戦後は国鉄バス紀南線として名を変え、つばめマークをボディーに掲げて走ったが、59年の紀勢本線全通で、その役目を終えるまで無事故だったことは、今でも関係者が誇りとしている。地元では省営バス廃止50年を機に峠の茶屋を舞台にした当時の映画上映会を開催し、「思い出の矢ノ川峠」とういう記念誌が出版された。
 紀勢本線全通50周記念を機に昨年、開催された熊野古道センターでの展示会でも、当時の様子を伝える新聞などの資料が活用された。今後も、地域の展示会などで県庁に残されている貴重な資料を活用して、地域の歴史が明らかになっていく機会が増えていくことを願っている。                  

(県史編さんグループ 伊藤裕之)

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