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第64話 伊勢みやげ名所画


神宮杉の木立から見える外宮社殿が描かれた「伊勢みやげ」の袋

神宮杉の木立から見える外宮社殿が描かれた「伊勢みやげ」の袋

「伊勢みやげ」の1枚「宮川橋より山田町を望む」

「伊勢みやげ」の1枚「宮川橋より山田町を望む」

伊勢みやげ名所画 鉄道客に版画集提供か

 年が改まれば初詣に出かける人も多いだろう。県内で最も多くの初詣で客で賑(にぎ)わう伊勢神宮には、江戸時代、人々の参宮を仲介した御師(おんし)たちの活躍により想像を絶する数の人々が訪れた。明治時代になり御師制度が廃止されても、伊勢を訪ねる人は絶えることがなかった。
 今回紹介するのは、そのものズバリ「伊勢みやげ」と名付けられた袋入りの風景版画集だ。現在の伊勢市を中心に名所画12枚が、石版印刷という技法により、豊かな色調で仕上げられている。
 印刷されたのは1897(明治30)年2月1日、発行は9日後の10日だ。石版印刷は19世紀にヨーロッパで発明され、日本で盛んになるのは明治30年ごろから。版画集は、この新しい技術を用いた先駆的な作品なのだ。
 和紙で、B5判より少し大きい縦20センチ、横26.4センチ。描かれた風景は伊勢神宮内宮を1枚目として、外宮、大々神楽之図、宇治橋風景、勾玉池之景、二見浦之景、古市踊之図、宮川橋より山田町を望む、豊宮崎文庫之景、月夜見宮之景、津公園之景、阿漕平治塚之景の12枚。専用袋に刷られた神宮杉の木立から見える外宮の社殿と合わせて13の風景が楽しめるのだが、ここに一つの疑問がある。
 13の風景のうち、11までは現在の伊勢市周辺の名所なのに、なぜ残る2カ所が現在の津市にある津公園(現在の偕楽公園)と阿漕平治塚なのだろう。
この版画集が印刷された97年、伊勢に大きな画期が訪れた。鉄道の開通だ。93年末に津−宮川間の営業を開始した参宮鉄道は、97年11月に宮川−山田(現在のJR伊勢市駅)間を延長した。この版画集が印刷・発行された2月時点では、まだ鉄道は宮川を越えていなかったが、少なくとも左岸にあった宮川駅までは開通し、多くの旅人に利用された。
 津と伊勢を結んだ参宮鉄道を介して見れば、版画集は起点と終点双方の名所を集録しているとは言えないだろうか。参宮鉄道という観点で見れば、津公園も阿漕平治塚も共に参宮鉄道に最寄り駅があり、しかも「津駅」や「阿漕駅」と駅名にその名を冠している。
版画の袋の裏には、発売所と販売者名が記されている。発売所は伊勢国山田尾上町の古島出張店(当時大阪で有名だった版元の古島竹次郎の支店)、販売者は伊勢国山田岡本町の三共合資会社、山田浦口町の橋爪五兵衛、津西町の大竹武三郎の3人だ。よく見ると発売所と販売者の2人は住所が現在の伊勢市だが、販売者の1人は現在の津市が住所となっている。ここでも伊勢と津の関係がうかがえる。確証はないが、この「伊勢みやげ」は、参宮鉄道を利用する客に起点と終点の名所風景を彩色豊かな版画集として提供した土産だった可能性がある。
 単なる土産かも知れないが、その背景には鉄道網の整備や新しい印刷技術の導入など、近代国家への階段を駆け上る日本の、そして三重の姿が見え隠れしているようだ。           

(三重県立博物館 宇河雅之)

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