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第62話 ムシトリスミレ


ムシトリスミレのさく葉標本

ムシトリスミレのさく葉標本

ムシトリスミレの生育環境のレプリカ

ムシトリスミレの生育環境のレプリカ

ムシトリスミレ 隔離分布で独自の進化

 ムシトリスミレは、高山の湿った岩上などに生育する多年草で、地表に放射状に広げた葉の表面に、短い腺毛が密生する。腺毛の先端からは粘液が出ており、名前のとおり小さな昆虫を捕らえ、消化吸収して自らの栄養分とする食虫植物だ。夏になると、広げた葉の中心部から花茎が伸び、先端に紫色の花をつける。花の色や形はスミレを思わせるが、分類上はタヌキモ科に属している。
 ムシトリスミレは主に、本州中部以北の冷涼な高山で見られるが、南限の分布に面白い特徴がある。本州中部から遠く離れた四国の徳島・高知県境付近の山地に飛び地のように分布していることだ。近年まで四国と本州中部の間で分布が確認されず、謎とされてきた。しかし、1984年ごろに旧飯高町(現松阪市)で発見され、ほかに岐阜県奥美濃地域でも見つかったことで、四国までの間に点々と生育地があることが分かってきた。
 本州中部以南の生育地には、共通する特徴がある。一つは、付近にカルシウムなどの成分により特定植物の生育地となりやすい石灰岩が見られること。二つ目は、滝の近隣か水がにじみ出ているがけで、常に湿っているこということだ。
 水は蒸発する際に周囲の熱を奪って気温を下げるため、暑さに弱いムシトリスミレが過ごしやすい環境を生み出している。これらのことから、南限付近で飛び石状の分布を示す理由は、次のように推定される。本来は寒い地域に生育するムシトリスミレは、氷河期に今より南方まで分布を広げた。しかし、その後の温暖化で分布限界が北上する中、先に述べたような環境条件の場所に残存し、飛び石状の分布(隔離分布)になったという考えである。このような分布を示す生物種は、「氷河期の遺存種」と呼ばれ、ムシトリスミレもその一つと考えられている。
 隔離分布している生物は、長期にわたり他地域の同種個体と交わりにくく、地域独自の進化を遂げることがある。三重県内に分布するムシトリスミレも、花や葉の形質が他の産地と異なるとされ、変種としてイイタカムシトリスミレと命名されている。その貴重性から、県は1993年3月8日、「蓮(はちす)のムシトリスミレ群落」として生育地を県指定天然記念物とし、2004年にはムシトリスミレを県指定希少野生動植物種として保護した。県立博物館では、さく葉標本のほか、形態を理解してもらいやすいようにレプリカを製作して展示などで活用している。
 地球温暖化による気温上昇が氷河期の遺存種に与える影響が懸念されている。県内のムシトリスミレは特殊な環境にかろうじて生き残った進化の歴史の証人だ。大切に守り育て、今後の調査研究から新たな事実が見つかることを期待したい。

(三重県立博物館 松本功)

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