トップページ  > 紙上博物館 > 伊勢の賽木

第54話 伊勢の賽木


伊勢の賽木

伊勢の賽木

伊勢の賽木 伝え残したい郷土玩具

 時代とともに移り変わっていくものの一つに玩具がある。かつて三重県には、数多くの郷土玩具と呼ばれるおもちゃがあったが、多くはすでに失われてしまった。玩具は子どもの成長とともに消耗し、大人になれば処分されるから、意図的に残さない限り伝世することはまれなのだ。
 たとえば、江戸時代に伊勢みやげとして一世を風靡(ふうび)した玩具に「笙(しょう)の笛」がある。「ねんねんころりよ おころりよ」で始まる子守唄の歌詞の「里のみやげになにもろた でんでん太鼓に笙の笛」の笛だ。雅楽の笙をかたどった長さ6センチ、幅2センチの角型で茶色の縞模様が施されていたらしい。
 井原西鶴の「好色二代男」にも登場し、また1830(文政13)年に著された「嬉遊笑覧」(きゆうしょうらん)には、「伊勢みやげの笛」とあるだけでなく、当時の着物の柄にも取り入れられていたことが記されている。よほど有名な玩具だったのだろう。おそらく伊勢参宮の盛隆に伴って全国に流布したのだろうが、今では全く残されていない。まさに伝説の郷土玩具となってしまった。
 「笙の笛」のように絶滅が心配される玩具がある。今回紹介する「伊勢の賽木(さいぎ)」もその一つで、三重県立博物館にも寄贈資料として1点あるだけだ。
1辺約4センチの木製。上面だけに彩色が施され、また型を押し付けることにより千鳥や花の模様が陰刻されている。残念ながら県立博物館のものは色あせ、何色か分からないが、本来は正方形の厚めの角材に切り目を入れ、9等分した面に赤や緑の色を塗り、木肌のままの部分とあわせて市松模様に仕上げられていたようだ。
 遊び方は、まず切り目にそって9個に割ることから始まる。割られた賽は約1.3センチ四方。この極小の木片が遊びの主役になる。1934年刊行の「日本郷土玩具」には「宇治山田の賽木」として掲載され、遊び方の一例が次のように紹介されている。
 @賽木を割り、まく。A右手で鞠(まり)をつきながら、鞠をついている手で素早く色の塗られた絵の面(花などが型押しされた面)をそろえる。この時「花むけ、花むけ」と唄う。B次は「おひとつ、おひとつ」と唄(うた)いながら、鞠をつく手で素早く賽木を拾って左手に移す。Cさらに「おふたつ、おふたつ」と唄いながら、賽木2個を重ねて左手に運ぶ。
 これに似た遊びがある。「イシナゴ」だ。19世紀半ばの風俗誌「守貞漫稿」(もりさだまんこう)は、イシナゴについて、「童女たちが小石を2、3個持って集まり、それをまき散らし、1人の童女が1個を一尺から二、三尺上に投げ、落ちてくる間に2個の石を手に取り、また落ちてくる石も同じ手で受け取る(以下略)と紹介している。「お手玉」の原型で、賽木はさながらお手玉セットなのだ。
 賽木は、現在ではその名を知る人もほとんどいないようだが、かつては正月の露店や松阪の初午などでも売られていたと聞く。現在のようにモノが豊富ではなかった時代、美しく彩られ、模様を施されたおもちゃに子どもたちは心をときめかせたことだろう。
 県立博物館の賽木は割られていない。買ってもらったが、もったいなくて割れなかった子どもの姿を思い起こさせてくれる。伊勢の賽木。それは伝説ではなく、遊び方も含めて伝え残したい郷土玩具のひとつだ。              

(三重県立博物館 宇河雅之)

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る