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第50話 三重に生息していたアケボノゾウ


アケボノゾウの全身骨格(レプリカ)

アケボノゾウの全身骨格(レプリカ)

アケボノゾウの下顎骨付き臼歯

アケボノゾウの下顎骨付き臼歯

三重に生息していたアケボノゾウ 小型化で環境に適応

 かつて日本は、地殻変動や海水面の変化により、大陸とたびたび陸続きになった。その時にトラやサイ、ゾウといった現代の日本には生息していない動物たちが大陸から渡ってきたことが、各地で見つかる化石から分かっている。
 三重県の伊勢湾岸周辺には、700万〜70万年前に堆積した淡水成の地層「東海層群」が分布する。ここからはステゴドンと呼ばれる仲間のミエゾウとアケボノゾウの化石が多く見つかっている。ミエゾウが産出する地層は430万〜360万年前、アケボノゾウは200万〜100万年前と推定されている。
 アケボノゾウの化石は岩手県中部を北限に日本各地から産出し、ほぼ1頭分のまとまった骨格の化石は、いなべ市藤原町上之山田で発見された「上之山田標本」、兵庫県明石市産の「紀川標本」、滋賀県多賀町産の「多賀標本」などがある。
 アケボノゾウはかつてアカシゾウ、ショウドゾウ、カントウゾウなどとさまざまな名前で呼ばれ、異なる種と考えられていたが、1991年に、同一種と認定、最も早く名付けられたアケボノゾウに統一された。
写真の全身骨格は、多賀標本のレプリカ(三重県立博物館所蔵)だ。胴長で足は短く、額は平坦。切歯(キバ)は長く湾曲しているが、大きくねじれたり横方向に曲がったりしないといった特徴がある。肩までの高さは約2メートルで、日本最大の化石ゾウ・ミエゾウの約4メートルの半分ほどだ。
 アケボノゾウの化石は県内では上之山田標本のほかに、いなべ市員弁町笠田、四日市市平津町、鈴鹿市山辺町で見つかっている。
写真の下顎骨(かがくこつ)付き臼歯は上之山田標本の一部で、長さは約50センチ。上之山田では1956年にセメント製造用の粘土採掘場で排水トンネル工事の際に臼歯の一部が発見されたことを機に、県立博物館が発掘調査を行った。
 作業員や資機材・宿舎の提供など地元企業の全面的な協力と、東大や三重大などの研究者の指導を受けて調査が進められ、切歯、肩甲骨、肋骨(ろっこつ)、寛骨(背骨と下肢とを連結する骨)、大腿骨(だいたいこつ)など、ほぼ全身の骨が次々と出土した。当時の新聞は「完全な明石象と確認」と報じている。
調査の経緯や成果は58年発行の「北伊勢地方の古生物と地質」(三岐鉄道・県立博物館編)に詳しく記録され、出土した化石は県立博物館の収蔵庫で大切に保管されている。
 調査地付近からは、切歯や臼歯が見つかっている。このため、この地には何頭かのアケボノゾウの化石が眠っていたと推測されている。
 アケボノゾウの化石が発掘される地層からは、ミエゾウの時代より冷涼な気候で生育するアスナロやトウヒといった植物の化石が多く見つかった。アケボノゾウがいた時代は寒かったようで、大陸から渡ってきたミエゾウが寒冷化に耐え小型化することで、島となった日本の環境に適応し、アケボノゾウへと進化していったと考えられている。
 現在、県立博物館は鈴鹿川の支流・御幣川でゾウ足跡化石を調査を実施し、そこに分布する約270万年前の東海層群を総合的に調べている。ゾウがいたころの三重県の古環境の復元に役立つ研究へとつなげていきたい。                    

(三重県立博物館 小竹一之)

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