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第43話 旧町村の役場文書


太郎生村役場 村会議事録

太郎生村役場 村会議事録

旧町村の役場文書 当時の暮らしを知る

 1889(明治22)年4月に全国で市制・町村制が実施されると、県内に約1800あった町村は、1市18町317村の計336市町村に統合された。唯一の市は津で、この時は全国で31市が市制を敷いた。その後、明治後半には四日市市や宇治山田市(現伊勢市)、昭和になって松阪市や桑名市が、さらに戦時体制の強化の中で上野市(現伊賀市)や鈴鹿市の市制実施があり、周辺の町村が合併されていく。
 しかし、大きく町村数が変化するのは、昭和の大合併だ。1953(昭和28)年に274市町村(7市37町230村)あったが、56年9月には88市町村(12市40町36村)にまで激減した。
 市町村合併が行われると、それまでの町村の公文書(旧役場文書)が数多く散逸する事態が全国でみられた。出張所として旧役場が使用される場合は比較的残りやすいが、建物が建て替えられる時などに廃棄されてしまったようだ。
 そこで、今回は5年前に天理大学付属天理図書館から三重県に寄贈された旧役場文書を紹介しよう。総点数は約4500点あり、文書保存箱106箱に納まる。ようやく目録整理が終わり、概要がつかめるようになった。
旧桑名郡から北牟婁郡に至る県内約150の旧町村の役場文書があり、うち、志摩郡(現志摩市)が3割近くを占める。その中に北牟婁郡錦村(現大紀町)の明治期の文書が170点ほど含まれていた。かつて、「紀勢町史」編さんの時に随分探したが、確認できなかったと聞いている。44年12月の東南海地震の津波で流失したと思われていたが、天理図書館に保存されていたのには驚いた。
 また、資料群には1900年前後の一志郡太郎生村(現津市)の村会議事録が含まれている。予算書や決算書などの議案や資料のほか、一志郡長に提出した村会の開会届や閉会届の控え、1893年3月の松阪大火の際に郡役所を通して義捐米(ぎえんまい)を送った文書、地域の政治力を高めるために青年学会を創設する請願書などがつづられており、当時の地域の様子を知ることができる。
 これらの資料群の作成時期は、近世もわずかにあるが、ほとんどは明治期で、一番新しい文書は1948年だ。天理図書館が古書店から入手した時期も考え合わせると、昭和の大合併の時に散逸したものだろうか。
ところで、この6月24日に公文書管理法が成立した。国民の貴重な知的資源である公文書を適切に管理し、後世に伝えていくことは国の重要な責務とし、文書作成から廃棄、そして歴史的公文書の保存までを規定している。地方公共団体にも、この法律の趣旨にのっとり、公文書の管理、保存を求めている。
 旧役場文書は、歴史研究のみならず、地域の生きざまや暮らしぶりを知ることができる貴重な資料でもある。市町村史の編さん事業を契機に支所などの所蔵文書を調査して目録を作成した自治体も多いが、倉庫や出張所の片隅にまだ放置されている旧役場文書はないだろうか。
平成の大合併で29市町となった今、旧役場文書は再び散逸の危機に面している。所在の確認と目録作成を緊急に行うことが、散逸を防ぐ第一歩となる。

(県史編さんグループ 服部久士

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