トップページ  > 紙上博物館 > 三重県梵鐘調査書

第27話 三重県梵鐘調査書


三重県梵鐘調査書(三重県所蔵)

三重県梵鐘調査書(三重県所蔵)

三重県梵鐘調査書 工芸の歴史 語る証人


今回紹介する「三重県梵鐘調査書」は、01(平成13)年に津市在住の三重県史専門調査員の方から寄贈された。表紙に「昭和十七年調 社寺部」とあるように、本来は三重県の公文書である。かつて古書店に流出していたものを購入し所蔵されていたが、本来県のものであるからと寄贈の運びとなったものである。
 太平洋戦争当時、政府は、鉄や銅といった最も重要な金属資財の輸入途絶に対する一策として、金属製品の強制回収を実施した。1941(昭和16)年8月に勅令が出され、回収作業が始まるが、この中には寺院が所蔵する梵鐘(ぼんしょう)や半鐘等も含まれていた。
寺院等の多くはこれに応じたが、歴史的価値の高いものや警備上必要なものについては、「金属類特別回収一時延期届」が提出され、延期すべきものと、そうでないものを選別する調査が行われた。三重県の場合、歴史的価値には6項目の条件があって、原則として慶長期(1596〜1615)以前の銘文があるものや、津の辻越後や射和(いざわ)の天命(てんみょう)といった有名な鋳物師の作であることなどであった。それらの結果をまとめたものがこの調査書である。
 表紙に「三重県梵鐘調査書」と書かれた7冊と「三重県下名工作梵鐘調」と書かれた1冊の計8冊があり、特に前者調査書の巻一〜五は「名工作」と記され、延期届とその調書(「梵鐘、半鐘、殿鐘、喚鐘実地書調」)、調査結果の通知に関する起案文書が寺院別に綴(と)じられており、一連の流れがよくわかる。
この調査には、複数の県史蹟調査委員らが当たった。延期か供出かを判断する理由が調書に記されており、当時の文化財に関する意識がうかがわれて興味深い。
また、現在は失われてしまった梵鐘の銘文等が記載されていることも貴重である。例えば松ヶ崎村(現松阪市)永福寺の梵鐘は、1908(明治41)年の製作であることから供出の対象となり、戻ってこなかったため、戦後新たに鋳造された。調査書には作者「津市 黄地直次郎」の名前が見られるが、黄地は明治期に滋賀から来た鋳物師で、梵鐘をはじめ細密な彫刻を施した火鉢仏具類を製作したという。近代における伊勢地方の鋳物師として注目される人物である。このように、調査書は戦時下の資料として、また三重県工芸史にとっても非常に重要な情報を提供してくれる。
 最初にも述べたが、この資料はもともと三重県のもので、1947(昭和22)年7月の引継印があることから、おそらくそれ以後に廃棄されたものと思われる。
偶然にも研究者の目にとまり、貴重な資料が救出された。戦争によって失われた梵鐘だけでなく、その調査記録までも失われては、本当に地域の歴史や文化を知る手がかりがなくなってしまうことになる。こうした文書の散逸を防ぐためにも、新県立博物館において計画中の公文書館機能に期待が持たれる。      

(県史編さんグループ 瀧川和也)

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る