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第24話 カモシカの剥製「クマノU号」


「クマノU号」

「クマノU号」

カモシカの剥製「クマノU号」 生きた軌跡に学ぶ

 各県に県鳥や県花などのシンボルが定められているのを御存知だろうか。県の鳥は「シロチドリ」、花は「ハナショウブ」。獣(正式には三重県民鳥獣)には、国の特別天然記念物にも指定されている「カモシカ」が選ばれている。「カモシカ」とはウシ目ウシ科に属する大型の哺乳類である。灰褐色の長い体毛に覆われ、太くて短い四肢をもつ。1964(昭和39)年に県民投票で選ばれた。
 選定理由は、日本の在来種で県民に親しみやすく、県の象徴にふさわしいとされた。
県の獣に選ばれるだけあって、カモシカの研究に関して、三重県は注目すべき地域である。御在所岳にあった日本カモシカセンターは、世界でただ一つのカモシカ専門動物園であり、飼育下でのカモシカの完全繁殖に世界で初めて成功した。
 86年には菰野町で開催の「国際かもしか学術シンポジウム」を主催するなど、カモシカ研究に貢献したが、06(平成18)年11月に閉園している。また、県内には鈴鹿山地と紀伊山地に二つの保護地域がある。この二つの地域に生息するカモシカの遺伝子の型は、本州の他の地域や九州に生息する個体とは異なり、紀伊半島型とされている。カモシカは比較的原始的な種で、遺伝子の型は多くない。このため、この紀伊半島型の価値は大きい。
 県立博物館では、日本カモシカセンターから寄贈を受けた資料を含む多くのカモシカに関する資料を収蔵している。今回は、この中から「クマノU号」と名付けられた、岩の上でたたずむ姿をしている剥製(はくせい)資料を取り上げたい。
 これは日本カモシカセンターで飼育されたもので、全長125センチ、体高65センチ、体重24キロ、推定16歳のメスである。なぜ「U号」かが気になるところだが、天然記念物関係の資料によると、この年に捕獲された「クマノ」は6号までいたようである。クマノU号は、78年11月30日、熊野市五郷(いさと)町で捕獲された。当時の記録から、その年の春に生まれたと推定されている。その後、クマノU号は、94年までの16年間にわたりセンターで飼育され、4匹の子を出産している。毎日、糞の状態や餌の配合などが克明に記録され、死因は老衰性急性肺炎。飼育されていたため、クマノU号には詳細な記録が残っているわけである。
 野生のカモシカでも飼育個体ほどではないが、標本からわかることはたくさんある。例えば、雌雄ともにあるさや状の角(洞角、どうかく)は、シカの様に1年で生え替わることなく一生伸び続ける。毎年、角鞘の表面に角輪と呼ばれる筋ができ、これを数えることで年齢がわかる。また、メスでは出産があった年には、角輪の間隔が狭くなるため、妊娠の有無を調べることも可能である。野生での平均寿命は5歳前後であるのに対し、クマノU号は16歳と長寿であった。飼育舎の金属柵で角とぎをしていたため、すり減りが激しいが、幾重にも角輪がある。
 カモシカに限らず博物館で収蔵している剥製などの資料はどれも、かつては生きていた。その生きた軌跡が私たちに教えてくれるものは大きい。ひとつの資料について調べれば調べるほど、新しい発見がある。時間はかかるが、これは博物館の大切な役割である。この軌跡を褪(あ)せさせることなく、永く伝えていきたいと改めて感じる。

(三重県立博物館 田村香里)

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