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第19話 歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」の浮世絵


3代豊国作「伊勢音頭恋寝刃」の図

3代豊国作「伊勢音頭恋寝刃」の図

歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」の浮世絵 妓楼での事件が題材

 歌舞伎は我が国を代表する演劇であり、仮名手本忠臣蔵・勧進帳など、現代まで受け継がれる歌舞伎の名作の一つに「伊勢音頭恋寝刃」(いせおんどこいのねたば)がある。
 その舞台を描いた浮世絵が県立博物館に所蔵されている。タテ36.3センチ×ヨコ73.5センチの3枚組みのもので、「福岡貢」という男が刀を抜こうとするのを「料理人喜助」が押さえようとし、右端には「油屋おこん」が座り込んでいる。3枚それぞれに「豊国画」と刻まれ、歌川豊国の作であることがわかる。ただ、豊国と言っても、初代から4代豊国まで4人がいる。
 何代目の豊国かが問題となるが、右下に幕府の出版統制のための検印が彫られていて、「未卯改」と見える。これまでの研究で、「年月改」印の使用は1859(安政6)年から71(明治4)年と解明されている。この期間では44(弘化元)年に豊国を襲名した3代豊国(元国貞)と70年頃襲名の4代目豊国がかかわるが、うち3代豊国は広重・国芳とともに幕末を代表する浮世絵師で、最大量の作品を残しているという。さらに何種類かの「伊勢音頭恋寝刃」を描いており、県立博物館のものも3代豊国の作品と見て間違いなかろう。また、3代豊国は64(元治元)年に没し、検印の「未」は59年ということになり、この頃にも「伊勢音頭恋寝刃」は評判の歌舞伎であったことがうかがえる。
 ところで、この歌舞伎は実際に伊勢古市の「油屋」という妓楼で発生した刃傷(にんじょう)事件を題材にしたもので、事件は1796(寛政8)年に起こった。
古市でかつて茶屋や貸衣装業を営んできた千束(ちづか)屋の旧蔵資料(現皇學館大学神道博物館所蔵)中の「(伊勢歌舞伎浄瑠璃年代記)」は、1690(元禄3)年〜1796年の古市と中之地蔵芝居の歌舞伎等の演題や役者名を書き留めたものであるが、この事件についても「古市油屋栃右衛門宅ニ而 五月四日夜八ツ時 宇治浦田町…斎(いつき)ト申者…三人を切殺し、…外ニ手負しもの十人計有大騒動也」と記述している。
 この事件は、まもなく歌舞伎にされ、同じ年の7月25日から大坂角之芝居で「伊勢音頭恋寝刃」として初演された。そして、犯人の斎は歌舞伎の中では福岡貢と名乗った。
 地元伊勢での上演は、1829(文政12)年5月に中之地蔵芝居で「宝年菜種実」(ほうねんなたねのみ)と題して4代坂東彦三郎が演じたものがよく知られている。評判がよく、その後全国各地に広まっていったという。なお、事件から33年後の上演だけに、かつては地元伊勢での上演を遠慮していたのでは、という解釈もあった。
 しかしながら、伊勢での上演は、これが初めてではなく、「伊勢歌舞伎年代記」によれば、事件3年後の1799年に、中之地蔵芝居で新狂言として「菖蒲酒(しょうぶざけ)恋寝刃」が演じられ、「油屋騒動」「福岡貢・料理人喜助・おこん」などと記されている。さらに、事件1カ月後に松坂の愛宕芝居で「伊勢土産菖蒲刀」という際物芝居が上演されたという話もあり、芝居番付等の資料調査の必要性を痛感している。
                   

(県史編さんグループ 福井正身・吉村利男)

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