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第8話 ヤチスギラン


ヤチスギランのさく葉標本

ヤチスギランのさく葉標本

湿地に生息するヤチスギラン

湿地に生息するヤチスギラン

ヤチスギラン 氷河期から生き続け

 三重県内の丘陵地を歩くと、森の中にぽっかりと草地が現れることがある。場所によっては常にしみだす水によって湿地となっている。湿地は、水分が多く養分が少ない土地であるため、湿地に適応した限られた種類の植物が生育する。そのため、周囲とは異なった植生となりやすい。特殊な環境であり、通常の草原や森林などでみられる植物間の生存競争にさらされにくい。結果として、希少な植物を守り育(はぐく)む場所となっている。
 ヤチスギランはこうした湿地に生育するシダ植物の一種である。水がしみだす草地の地表に、長さ20センチに満たない横にはう茎を伸ばす。その茎から枝分かれした直立する茎の先端部に胞子をつける穂をつくる。夏に葉や茎は緑であるが、冬になると大部分は枯れ、茎の先端部分だけが残り春を迎える。
 日本では近畿地方以北の本州と北海道に分布し、寒地や高地の湿地に生育している。三重県は、ヤチスギランの日本における分布の南限にあたる。県内では、桑名市、津市、伊賀市で分布が記録されているが、桑名市と津市では絶滅したとみられ、現在は伊賀市の一部で確認できるのみである。このため、近い将来、野生状態では絶滅することが心配されている。
 県立博物館に収蔵しているヤチスギランの標本は18点あり、現在では絶滅した場所の標本もある。いずれも県内で活躍された植物研究者の方々から寄贈を受けた標本であり、希少な植物として注目されていたことがわかる。
さて、本来は寒い地域に生育するはずのヤチスギランが、なぜ温暖な三重県に生育しているのだろうか。
 これについては、寒冷な気候であった氷河期などに分布範囲を南方に広げたが、のちに温暖化のため生育場所が北方へと限られていく過程で、湧水(ゆうすい)などにより冷涼な環境に保たれた湿地に生き残り、現在のような分布となったと考えられる。
このような種類は「氷河期の遺存種」と呼ばれ、県内では、ほかにヤチヤナギやミツガシワなどがある。
 三重県は日本のほぼ中央に位置し、東西文化の結節点となっているが、植物にあっても北方系と南方系が混じりあってみられ、いくつかの植物は三重県が分布の南限や北限となっている。さらに、東紀州の温暖多雨地域から鈴鹿山脈の寒冷多雪地域まで、また深山から海岸までと、多くの異なる環境があり、多様な植物が生育する地域となっている。こうした多様な環境が維持されなくなると、多くの植物が生育できなくなる。
 湿地は、現在その重要性があまり認識されず、開発により宅地や工業団地などへと姿を変えている。また、残された場所も、周囲の開発により、土砂の流入や湧水の減少がみられるようになり、乾燥化が進むなどの環境変化もおきている。氷河期から今まで生き続けてきた重要な植物は、その種類や数を確実に減らしている。植物の多様性が失われることは、同時に、三重県の豊かな環境が危機的状態になりつつあるサインでもある。

(三重県立博物館 松本 功)

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