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第6話 吾輩は「鳥羽竜」学名はまだない


トバリュウの復元想像図=イラスト・岡本泰子

トバリュウの復元想像図=イラスト・岡本泰子

トバリュウの右大腿骨の化石

トバリュウの右大腿骨の化石

トバリュウの右上腕骨の化石

トバリュウの右上腕骨の化石

吾輩は「鳥羽竜」学名はまだない 列島の地史 貴重な資料

 鳥羽市安楽島(あらしま)町の海岸で恐竜の化石が発見されたのは、12年前の1996(平成8)年のことである。発見当時「国内最大級の恐竜発見!」という見出しが新聞紙上におどった。
 この時の発掘調査で特定できた化石の部位は、左右の上腕骨をはじめ、左右の大腿(だいたい)骨・左橈骨(とうこつ)・右脛骨(けいこつ)・右腓骨(ひこつ)・左座骨(ざこつ)・尾椎(びつい)4点の12カ所である。現在、これらはすべて県立博物館で収蔵している。
 この恐竜は、通常「トバリュウ」、または「鳥羽竜」と呼ばれているが、これは公式な学名に対する和名ではなく、いわば愛称である。現時点では、竜盤目・竜脚形亜目に分類される大型植物食恐竜のティタノサウルス科の一種であることまで分かっているが、属や種の特定に必要な部位が見つかっていないため、学名はまだ付けられていない。
 写真の右大腿骨は、発掘されたトバリュウの化石の中で最大のもので、現存長は128センチである。両端が欠損しているため、復元全長は140センチと推定される。
 右上腕骨も、両端が欠損しており、現存長は115センチだが、復元すると125センチになると思われる。発掘された部位が少ないため、全身を詳しく復元することは困難であるが、上腕骨と大腿骨の大きさから、トバリュウは、全長16〜18メートル、体重31〜32トンの恐竜であったと考えられている。
 トバリュウが埋まっていたのは、「松尾層群」とよばれる中生代白亜紀前期の地層で、汽水生の貝化石や植物化石の産出地として以前から知られていた。地層中の鉱物を用いた年代測定により、トバリュウが生息していた時代は、1億3800万年プラスマイナス700万年前とわかった。その頃、日本列島の形はまだなく、アジア大陸の東の縁に土台ができつつある状態だった。トバリュウがすんでいた場所は今よりずっと南方の東アジアの南縁で、トバリュウは、死後、植物や汽水生の貝類と一緒に流されて浅い海で埋積された。その地層が、中央構造線に沿う大規模な横ずれ断層の活動により、長い年月をかけて現在の鳥羽市の位置まで北上してきたと考えられている。トバリュウの化石は、日本列島の地史を考える上でも学術的に大変貴重な資料である。
 トバリュウ発掘後、15メートル程西側の地点から、イグアノドン科恐竜の足跡化石が見つかった。また、一昨年、兵庫県丹波市で発掘された丹波竜は、トバリュウと同じティタノサウルス科と推測されている。鳥羽市と同じ中央構造線の南側に位置する和歌山県の海岸からは昨年、肉食恐竜の歯の化石が見つかった。新たな恐竜化石発見の夢が膨らむ。
 今、子どもたちの間では、空前の恐竜ブームである。発見から12年、かつて紙面をにぎわせたトバリュウだが、今の子どもたちは当時を知らない。三重で発掘された恐竜トバリュウについても詳しく知ってもらい、三重の子どもたちの中から恐竜博士が誕生し、トバリュウなど、日本の恐竜研究を進展させてほしいものである。

三重県立博物館 平Pみえ子)

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