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第5話 伊勢志摩の鳥瞰絵地図


「伊勢名所図絵」(部分)

「伊勢名所図絵」(部分)

伊勢志摩の鳥瞰絵地図 幅1メートルも雄大パノラマ

 秋の観光シーズンを迎え、伊勢志摩地方は国内外からの観光客でにぎわっている。ガイドブックを片手に見所やグルメスポットを楽しんでいる姿は今も昔も変わらない姿である。
 明治になると、鉄道による交通網の整備が進み、当地への観光も徒歩や海路による神宮参拝から鉄道による参拝に大きく変わることになった。参宮鉄道が、1908(明治41)年に国有化され、11年に鳥羽まで延伸されると、一躍人気観光地となった。
 そんな旅行ブームと相まって、刊行されたのが、鳥瞰図絵師(ちょうかんずえし)
による絵地図である。なかでも吉田初三郎(1884〜1955)は、自らを「大正広重」と名乗り、北は樺太(サハリン)・千島から南は台湾に至るまで、国内外の詳細で色鮮やかな絵地図を発表し続けた。文字通り空を飛ぶ鳥の目で描かれた建物や山々は、立体的でわかりやすく観光地図や鉄道沿線地図として、大変人気があり、人々の旅情を誘った。飛行機に乗ることがほとんどなかった当時の庶民は、この雄大なパノラマに見入ったのであろう。
 三重県を描いた作品は、30点近く知られている。県史編さんグループ所蔵の「伊勢名所図絵」は、19(大正8)年発行のもので、初三郎の作品としては初期の部類に属する。
 この「伊勢名所図絵」は、横幅が1メートルにも及ぶが、折りたたみサイズがおおよそ縦21センチ横11センチと携行に便利なサイズとなっている。右には宇治山田市(現伊勢市)の詳細な町並みと高倉山の山すそに広がる外宮を配し、中央奥には、ゆったりと五十鈴川が流れ、宇治橋の向こうには内宮が鎮座している。そして、その左手には堂々とした朝熊山の山並みが大きく描かれ、その山頂に金剛證寺(こんごうしょうじ)の塔中(たっちゅう)が立ち並ぶ。ふもとには、二見の日本初の海水浴場、二見浦と夫婦岩、島々が美しい鳥羽の海が連なる。穏やかな鳥羽港には帆をかけた船が点在する。そして、その左には地球の丸さを実感させるように、太平洋と朝日が描かれ、遠方には、箱根山、富士山、浅間山、木曽御嶽が、淡く描かれている。この大胆奇抜ともいえるデフォルメこそが、初三郎の真骨頂ともいえよう。今なお、根強い人気を保ち続ける初三郎の秘密は、この痛快で愉快な画風にあるのかもしれない。
 海岸部を力強くまっすぐに国鉄参宮線が描かれ、蒸気機関車が客車を連ねて走っている。その国鉄線の山田駅と二見駅との間を並行し、中央で内宮手前まで記されている太い赤線がある。伊勢の路面電車として親しまれ、1903年に開業し、61(昭和36)年まで走り続けた伊勢電気鉄道(当時の名称、後の三重交通神都線)の路線である。東京や大阪よりも一足先に開業した路面電車は、便利な参拝の足として利用されたに違いない。
 表紙の裏には、内宮・外宮の写真のほか、二見の海水浴や鳥羽の海女をはじめ、各地の写真が配され、旅心をくすぐったのであろう。絵地図の裏には、内宮・外宮の地図とともに、参宮要覧として、各地見所の詳細な説明が書かれており、清新な色彩の地図とともに、旅の心強いガイドになったのではなかろうか。   

(県史編さんグループ 伊藤裕之)

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