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第4話 三重県鳥のシロチドリ


シロチドリのはく製

シロチドリのはく製

三重県鳥のシロチドリ 砂浜減り個体数に影響
 
 1972(昭和47)年6月20日に、県民投票で三重県の鳥としてシロチドリが選ばれた。それ以降、三重県警の愛称ミーポと呼ばれるマスコットキャラクターにシロチドリがモデルとしてデザインされたり、三重県立水産高等学校の練習船の船名に「しろちどり」の名前が用いられ、広く親しまれている。三重県立博物館には、このシロチドリのはく製が5個体ある。これは、そのひとつで、県立博物館が開館した6年後の1959年3月10日に津市で採集された本はく製である。
 チドリ目チドリ科に属するシロチドリは、体長約16センチと、スズメより少し大きいくらいである。雌雄同色で、成鳥は額と眉斑(びはん)が白色で、黒い過眼線(かがんせん)があり、前頭が黒く、頭頂と後頭は橙黄褐色をしている。他のチドリの仲間との違いは、胸の横帯が中央でとぎれることである。北海道から沖縄までほぼ全国的に分布し、三重県内では留鳥として一年を通して見られる。
 また、伊勢湾沿岸の砂浜の海岸に多く生息し、砂浜や干潟が少ない熊野灘沿岸では、わずかしか見ることができない。伊勢湾は、内湾のため波が穏やかで、河口の干潟にはたくさんの種類の生きものが集まり、シロチドリにとってすみやすい生息場所となっている。
 繁殖期の春先になると、オスは、砂地の浅い窪(くぼ)みに貝のかけらや小石を敷きつめた簡単な巣をいくつか作る。メスがその一つを選んでオスとの一夫一妻の営みを始める。メスは、通常3個の卵を産む。卵やひなのいる巣にイヌやヘビ、ヒトなどの外敵が近づくと、親鳥はけがをして動けないようなまねをして、引きつけながら巣から徐々に離れた場所に移動して逃げ去る方法をとる。この行動を「擬傷」(ぎしょう)と言って、親鳥が自分をおとりにして卵やヒナを守るのである。
 またシロチドリのエサの捕り方は、スピードを出して浜を走っては急停止したり、突然方向を変えたりして、急襲する。えさは、砂浜にいる昆虫・クモ類、トビムシなどで、引く波を追いかけ砂に隠れるヨコエビを捕らえたりもする。繁殖期以外では、大群となって行動をとる姿から、「千鳥」の名が付けられたとされる。
 その姿を見て古くから詩歌に詠まれ、「浜千鳥」の名で親しまれている。熊野市新鹿(あたしか)には江戸時代の俳人、三浦樗良(ちょら)の句碑がある。さらに、県立第一中学校(現津高等学校)を卒業した弘田龍太郎の曲でも知られ、阿漕焼きのモチーフともなっている鳥である。
 しかし、伊勢湾の海の汚染や砂浜海岸が失われてきているため、シロチドリの生息場所が狭くなり、個体数が減少してきている。シロチドリがこれ以上減少しないように、干潟や砂浜の海岸を保全することで、いつの時代までも三重を代表する鳥であってほしいものである。 
                           

(三重県立博物館 今村隆一)

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