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第3話 山田奉行屋敷図面


山田奉行所の平面図

山田奉行所の平面図

山田奉行屋敷図面 大岡越前ゆかりの場所 
 
 この屋敷図は、県史編さんグループで保管している三重県庁文書の中の度会(わたらい)府関係資料として伝わっている、大きさ128×116センチの山田奉行所の平面図である。
 奉行所は、1635(寛永12)年、奉行が花房志摩守の時、現在の伊勢市有滝から小林(おはやし)に移されたが、絵図には1723(享保8)年、山田奉行渡邊(わたなべ)下総守から当時江戸詰めだったもう一人の山田奉行、黒川丹波守に送られたものの控えであるとの裏書がある。作成の経緯については判明してはいないが、一説には奉行所の作事について、勘定奉行への説明用に作られたものだとも言われている。
 奉行所の周囲に、南番所・西番所、北には宮川が流れ、南側には細く書かれた外濠(ぼり)と「橋の下池」「土肥の内堀」と書かれた内濠がある。そして、西の端には5頭分の厩(うまや)と馬場があり、北西側の濠の北側には、与力たちに与えられた広い畑が広がり、14軒の同心長屋も描かれている。
 訴訟に及ぶ人物は、外門から入り中門番所の横を通り、奉行所に訴訟を行う。玄関から建物の中に入ると、役人詰所・御用部屋・下台所・上台所、西には奉行のプライベート空間としての屋敷がつながっている。そして、その北側には、家臣たちの居住する15畳や12畳の東長屋・西長屋があり、屋敷地全体は板塀に囲まれている。
 全体として見ると、奉行所があったところは周りよりも3〜4メートル高い微高地で、水郷に囲まれた小さな城館のような立地であったのではないかと言われている。
 さらに、奉行所の北東500メートルには御船蔵もあり、戦闘用の関船を改造した「虎丸」と呼ばれる御座船をはじめとして8艘(そう)の船が繋留(けいりゅう)され、伊勢湾口の海上警備にあたっていた。 
山田奉行は、徳川家康が関ヶ原合戦の後、地方統制の一端として長崎や佐渡とともに置いた遠国(おんごく)奉行の一つであり、48代に及ぶ代々の奉行のうち、元禄期(1688〜1703)頃(ごろ)までは信州や三河の武士出身の奉行が多く、この絵図の描かれた享保以降は、文人として力のある奉行が目立ってくる。
 テレビ番組等で有名になった大岡越前守忠相も、1712(正徳2)年、36歳で山田奉行に就任し、この地での経験をもとに、後に江戸町奉行として力を発揮したことを思えば、平面の絵図にも何か親しみが持ててくる。
 さて、現在、かつて奉行所のあった小林集落の西に「山田奉行所記念館」が建てられている。往時の奉行所の中心、玄関からお白州にかけての部分が象徴的に復元され、江戸時代の奉行所の雰囲気をそのまま今に伝えている。          
                        

(県史編さんグループ 福井正身)

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