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高田本山専修寺 山門(河芸郡一身田村)


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 真宗高田派の本山。もとは親鸞が下野国芳賀郡高田(現栃木県)に創立したと伝える専修寺を本寺とした。その専修寺の第十世住持真慧が文明年間(1469〜1487)に伊勢国奄芸郡一身田(現津市)に寺院を建立し、寺号を無量寿院(寺)と称した。その後、下野国高田の本寺の火災などがあって、次第に高田派の中心寺院が一身田に移り、専修寺と呼ばれるようになったらしい(『国史大辞典』)。高田本山専修寺 如来堂・御影堂は右が御影堂、左が如来堂で、専修寺の中心的な建物である。『三重県案内』によれば、「影堂の前面左右なる菩提樹及枝垂柳は大師手植のものを下野より根分せしなり」と紹介している。また、法会などのときは「市街人を以て填む」状況であったというが、明治24年(1891)には関西鉄道会社の津・亀山間の支線が開通し、一身田停車場も開設されて、専修寺への参拝も便利になっていた。なお、御影堂は寛文6年(1666)に竣工、如来堂は寛延元年(1748)に完成し、この写真の山門も江戸時代中期の建築で(『三重の近世社寺建築』)、御影堂・如来堂が重要文化財、山門が県指定文化財となっている。近年、本格的な文化財保存修理工事も実施され、如来堂・山門が完了し、御影堂は工事に着手されたところである。

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