四天王寺(津市栄町)


写真


 津市栄町の伊勢街道沿いにあり、明治20年(1887)茶屋町(塔世茶屋町)が改称して栄町となる。四天王寺の創設に関しては、聖徳太子が建立した四天王寺4ケ所の一つという伝承のほか、国分寺説や弘仁期(810〜824)以前建立説など諸説ある(『津市史』第5巻)。いずれにしても、本尊の薬師如来坐像胎内から発見された「勘注四天王寺領田畠事」という康平5年(1062)の古文書によれば、四天王寺は安濃郡内の多くの里で総計約180町歩もの寺領を有し、勢力を誇っていたらしい(『津市の文化財』)。その後、兵乱によって堂舎焼失などもあったが、貴族・武士からの寄進や城主の手厚い保護を受けてきたという。また、城主の身内なども多く四天王寺に葬られており、『三重県案内』では「同寺にある著名の墳墓」として「斎藤拙堂先生墓」以外には「織田信長公母堂墓・富田知信男千代丸墓・藤堂高虎公室一色氏墓」といった旧城主関係者の墓を紹介している。なお、「織田信長公母堂墓」とは、永禄11年(1568)安濃津城主となった織田信包は信長の弟であったからで、その墓所は現在の四天王寺墓地北西部の一段高いところに位置する。

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る