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榊原温泉(一志郡榊原村)


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 榊原温泉は、清少納言の『枕草子』や鎌倉時代の歌集『未木集』に見られる「七栗の湯」と言われ、江戸時代の正徳3年(1713)には「榊原湯本制札」も出されているという(『榊原温泉のあれこれ』)。このように、榊原の温泉は古くから親しまれ、明治11年(1878)の年間入湯者は3,750人を数えた(『明治14年三重県統計表』)。また、27年発行の『榊原温泉来由記』には「維新以還・・・浴客日を追て加はり」とあり、『三重県案内』にも「浴客常に多し」と記されているが、湯の山温泉に比べて随分少なかったようである。その原因には、「阿漕停車場より五里十九町、高茶屋駅より四里二十町を西に距る」とあるように、一志郡榊原村(現久居市)への交通不便があった。大正期には参宮急行電鉄(現近鉄)大阪・山田間の敷設が計画され、榊原村の人たちも誘致活動をしたようであるが(『久居市史』下巻)、隣村の倭村(現白山町)を通り昭和5年(1930)に全通した。榊原村からは遠ざかってしまったわけであるが、その後まもなく、「鉄城翁」と言われる伊賀上野の実業家田中善助翁の援助を得て、佐田駅(現榊原温泉口駅)からの道路を改修しバスを走行させた。さらに、善助翁は新温泉井の掘削、旅館の新築など惜しまない努力をし、榊原温泉発展に大いに尽力した。

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