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仮徴古館(宇治山田市倉田山)


写真


 明治19年(1886)6月に組織された神苑会は、歴史博物館(徴古館)の建設を当初から計画していた。その一部として、まず農業館を24年5月に開設したが、徴古館本館の建設は、「頗ル多額ノ経費ヲ要シ、其支弁ノ方法容易ナラズ、加之其建築タル堅牢ヲ要シ、急速完成ヲ期ス可ラザル」として、完成は42年5月になった。その間に外宮神苑前にあった農業館を倉田山に移すことになり、それにあわせて仮徴古館を設け、38年7月30日に農業館とともに開館式が挙行された(『神苑会史料』)。仮徴古館は外宮神苑前の農業館付属の工芸館を移築したものであったが、この工芸館の建物は何回か様々な施設に利用されている。すなわち、元来は11年に津の公園(藤堂家山荘跡)で開催された三重県内物産博覧会のときの建物で、その後一部改修して18年12月に三重県物産陳列場として開設したが、26年陳列場の廃止に伴い神苑会に寄付され、27年外宮前に移築し農業館付属の工芸館となっていたわけである(『神苑会史料』)。したがって、写真の仮徴古館は4度目の役目ということになり、徴古館本館の竣工後は倉庫として役目を果たしたようで、『神苑会史料』の「倉田山全図」には「倉庫(元仮徴古館)」と記されている。

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