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徴古館と御幸道路(宇治山田市倉田山)※


写真


 明治19年(1886)神苑会が組織されて以来、歴史博物館(徴古館)の設置は大きな目標であり、一部として農業館が建設され、仮の徴古館も一時設けられてきた。その徴古館本館がようやく42年5月に竣工した。写真の左に位置する建物で、現在は戦災を受け屋根部分が変わっているが、建設当時は中央にドームが上げられていた。徴古館の設計には同じ年に明治建築の一大モニュメントとなる赤坂離宮を完成させた著名な片山東熊・高山幸次郎が当たった(『東海の建築』)。次に、写真右の建物は「撤下御物陳列所」で、大正14年(1925)には神宮文庫がここに移転新築された。なお、写真中央の道路は、行幸の便を考え新設された道路であるため、「御幸道路」または「御成道」と言われている。外宮・内宮間「延長四十八町余、幅八間」で43年3月に完成し、約375,000円の経費を要し、歩道の桜・楓の植栽は御木本幸吉の寄付であったという(『宇治山田市史』上巻)。

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