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鳥羽港(志摩郡鳥羽町)※


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 古来から著名な港であり、まだ汽船のなかった頃、遠州灘の航海に出る前には必ず本港に立ち寄り、天候が定まるのを待ち、遠州灘の航海を終わった者はここで安着を喜んだと『三重県案内』に紹介し、「湾内水深く、波静かに最も船舶の碇泊に適す」と結んでいる。写真左端の島は相島(現在の真珠島)で、右側の工場は明治40年(1907)段階では合資会社鳥羽造船所で、312人の職工がいた(『明治40年三重県統計書』)。鳥羽造船所は11年9月東京で造船所を営む福沢辰蔵が鳥羽に造船所を開いたのが最初で、以後旧鳥羽藩の士族らの資金もあわせ基礎を固めていった。22年には奄芸郡栗真村(現津市)の阿保市太夫らが鳥羽鉄工株式会社と改称し経営を継承し、24年には度会郡神社港(現伊勢市)の造船所を合併し鳥羽鉄工所造船部となったが、29年には東京の安田系の経営に移り、鳥羽鉄工合資会社として船舶の製造・修理のほか、諸器具の製造なども行った(『鳥羽市史』下巻)。そして、40年に再び鳥羽造船所と改称され、その後も神戸の鈴木商会の資本が入り帝国汽船造船部、さらに造船業を廃止してのち最終的に神鋼電気株式会社となるなど、多くの遍歴をたどった。

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