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三重県唯一のペスト流行−感染者63人 大半が死亡


ネズミ駆除の薬剤を散布する警官ら(写真:「大正五六年三重県ペスト流行記」より)

ネズミ駆除の薬剤を散布する警官ら(写真:「大正五六年三重県ペスト流行記」より)


 今は少し沈静化の兆しを見せたとは言え、新型肺炎(SARS)の問題は世界中に大きな衝撃を与えた。
 三重県でも、こうした感染病で大きな騒ぎになったことがある。大正5年(1916)四日市のペスト流行で、インド方面からの輸入綿花にまぎれて菌をもつネズミが上陸したらしく、四日市港を中心に多くの感染者が出た。
 日本での最初のペストは明治32年(1899)の神戸港に入った船舶からの感染で、その後大きく3回、神戸や横浜などの貿易港やその周辺で流行した。四日市は5回目の流行で、このとき愛知県でも40人ほどの感染者があったが、三重・愛知県共にこれまでの感染はなく、当時「晴天ノ霹靂」と感じたようである。
 四日市では、大正5年10月13日紡績会社関係者ら5人がペストと認定され、以後12月13日のわずか2か月の間で感染者が60人にも達し、その大半が発病から数日のうちに死亡した。そのときの四日市市は「海陸共ニ交通全ク杜絶シ、市内ハ寂寞トシテ日中ト雖モ巷街人影ヲ見ザル」という状況であったという。
 県や市では急遽その対策に取り組み、まずペスト発生とともに四日市に総数144名の県検疫委員部出張所が置かれた。各地の巡査・医者・技師などが集められ、内務省からも衛生技師が派遣された。そして、検疫のほか、ズミやノミの駆除、倉庫の消毒・燻蒸、船舶の消毒などが盛んに行われた。特にネズミの駆除については、薬剤散布だけでなく、市民にネズミ捕獲を奨励したが、成績が振るわなかったので当初1頭2銭の価格を徐々に値上げし、遂に1頭20銭まで上げ、約六万頭のネズミを買い上げた。また、市では感染者発生地域の健康者を隔離するための施設を一週間で建設し、約900人の人たちを4〜13日間収容した。こうした様々な対策によって、年を越した大正6年には3名の死亡者があったものの、5月以降は全く感染者を出さなくなった。
 日本では昭和4年(1929)がペスト感染の最後と言われているが、三重県ではこの四日市でのペスト流行が唯一のものである。県では、「他日ノ参考ニ」するため感染者の病状やその対策の詳細な内容を全416ページの『大正五・六年三重県ペスト流行誌』としてまとめ、大正8年に印刷刊行した。現在、海外ではアジア・アフリカの国々では依然として感染者が見られ、そうした地域への旅行者は注意が必要であるという。この『三重県ペスト流行誌』も時代こそ経つが、何か参考資料になるかもしれない。 

(県史編さんグループ 吉村利男)

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