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墨書きから浮かぶ事実−正法寺十一面観音像


正法寺の十一面観音立像と光背銘赤外線写真

正法寺の十一面観音立像と光背銘赤外線写真

天永□年と確認できる

天永□年と確認できる


 度会郡度会町の注連指(しめさす)に所在する正法寺には、国の重要文化財にも指定されている十一面観音菩薩の立像が安置されている。
 像高1メートルほどの大きさで、全身のほとんどをクスの一材から彫出している。像の表面は白土下地の上に彩色を施しているが、現在は剥落が多く、当初の華麗な様子を想像することはむずかしい。光背と台座はヒノキで、いずれも当初のものである。
 ところで、光背の裏面には「天永参年十一月廿七日願主藤原有助」と墨書されている。このことから、この仏像が天永3(1112)年、藤原有助という人物を願主として造られたことがわかる。仏像の制作年や作者・願主等は、わからないことの方が多いのが普通である。しかし、本像のように、像本体と光背台座がそろって伝来している点に加えて、制作年が明らかな例は県内でも珍しく、たいへん貴重なものである。
 近年、地元の御了解を得て、県史編さん事業の一環として光背銘の調査を行った。赤外線フィルムを用いて撮影したところ、次のような興味深い事実が浮かび上がった。
 従来、この銘文は一筆で書されたものとされてきた。しかし、部分により、明らかに筆が異なっていることが判明したのである。このことから、どのようなことが想定できるのだろうか。
 まず、筆跡の変化は非常に大きく、複数の人の手になることは確実である。具体的には、「天永参年」と「願主」の文字は同筆で、線はややか細く、文字は小さいものの達筆である。それに対し、「十一月廿七日」と「藤原有助」は、太く力強い筆跡ではあるが、決して達筆とは言えないのである。このことは、後者の筆跡に、むしろ願主本人の自筆の可能性を強く感じさせる。つまり、年号と「願主」の文字は仏師等、願主以外の人物によって、あらかじめ書かれたものであり、納品後に、日付と氏名のみを願主本人が書いたとは考えられないだろうか。
 観音像の伝来については、残念ながら不明な点が多く、正法寺の開基やその後の経緯も、近世の前期頃までは「正法庵」と呼ばれていた以外、よくわからないのである。また、藤原有助についても、他に史料がなく、現時点では不明と言うほかない。しかし、決して手慣れた文字とは言えない「藤原有助」が彼本人の自署であるならば、地方色の濃い作風とも相まって、藤原有助が、平安時代末期の、この地域における有力者であった可能性も見えてくる。
 もちろん、これはあくまで想像の域を出るものではないが、実史料の乏しい当地域においては貴重な文字史料である。

(県史編さんグループ 小林 秀・瀧川和也)

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