林産物

檜(ヒノキ)


檜と言えば尾鷲檜が著名です。平成一六年(二〇〇四)、檜は「三重ブランド」品に認定されました。明治時代、県内の檜はどうだったでしょうか。明治一五年(一八八二)二月、東京上野公園で山林共進会が開かれました。写真の資料は、その際の出品調書です。ここには出品した木種や本数だけでなく、林業の来歴や植え付けや伐採方法、木材の運搬や加工、山林保護の方法などが記されており、当時のようすがよくわかります。

その中で、尾鷲林業のパイオニア土井八郎兵衛の来歴を見ると、試験的に松・杉・檜など植え付けたのは元和五年(一六一九)からと記しており、植林の歴史がかなり古いことがうかがえます。また、八郎兵衛所有山林の檜の本数は約一三九万本で、杉よりも少し上回っています。檜は、植え付けからおよそ四〇年で伐採し、この間に一五年目・二〇年目・三〇年目と三度の間伐(抜伐)を行ったようです。間伐や伐採された檜は、その場で樹皮を剥ぎ、木材は二、三間に切り分けられて修羅などで付近の川端に集材され、川の出水を利用して海岸まで運びました。さらに、樹皮も屋根葺きや壁を包む用材として盛んに取引されました。

『三重県写真帖』に収録された檜山林
『三重県写真帖』に収録された檜山林
県庁に残る山林共進会関係簿冊
県庁に残る山林共進会関係簿冊

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