トップページ  > 明治時代の三重の物産 > 鮑(鰒・アワビ)

水産物

鮑(鰒・アワビ)


鮑は、三重県を代表する海産物の一つです。古代から志摩地方を中心に水揚げされ、朝廷や神宮へも献上されていました。平城宮跡発掘の木簡には、志摩国から「耽羅鰒六斤」・「鰒腸五斤」が調進されたことを示すものがあります。

鮑の捕獲方法は、海女が潜水して獲るものと船上から突き刺すものとがありました。また、明治一三年(一八八〇)には潜水器の使用が開始されました。これによって乱獲が問題視され、一五年制定の「三重県潜水器使用規則」には、一定規格以下の捕獲や増殖期の捕獲などを禁じています。

捕獲した鮑は、生きたまま大阪や名古屋・伊勢方面に送られましたが、相場が低い時は干し鮑や塩漬けにもしました。明治一六年開催の水産博覧会出品解説書を見ると、干し鮑は、もともとは傷が付いた鮑の加工手段でしたが、明治時代になって中国向けの輸出品として盛んに製造されるようになりました。価格は明治一〇年当時、一貫目当たりおよそ二円でした。

海女による鮑捕獲の絵はがき
海女による鮑捕獲の絵はがき
 
 

▲写真をクリックすると拡大した画像を表示します。

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る