農産物

綿


松阪木綿・伊勢木綿(伊勢縞)などの名で知られるように、三重県では木綿織物業が盛んです。江戸時代になると、庶民の衣料は麻から木綿に変わり、伊勢・美濃・尾張で産した木綿織物は、いったん白子湊(現鈴鹿市)に集められて、ここから江戸まで船便で輸送されていました。このような木綿織物を支えたのは農家の綿作でした。各地に残る江戸時代の村明細帳からも畑作物として綿が作られ、それを村の女性が作間稼ぎとして織っていたことがわかります。

明治一四年(一八八一)の第二回内国勧業博覧会では、多くの実綿・繰綿が出品されています。写真は、そうした出品解説書の一つですが、多気郡八木戸村(現明和町)出品者の綿作りの様子を読んでみると、毎年五月一日から一週間以内に種を蒔き、九月一〇日頃から一〇月中に収穫しました。肥料は、主に油かすを用いました。摘み取った綿は、莚(むしろ)の上で日光に一日さらし、タテという紙袋に入れて保存しました。また、この解説書には「近傍御糸郷ニ於テハ御糸木綿ト称シ、普通ノ木綿ヲ産出スルニ主用ス、又衣服ニ入テ其質柔キヲ以テ賞セラル」とあり、この地域ではかなり上質な綿を生産しており、昭和初期まで綿作りを見ることができたそうです。

八木戸村(現明和町)から綿の出品
八木戸村(現明和町)から綿の出品
 
 

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