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三重のお雑煮、丸と四角の交錯


 今日は、お正月にちなんで、お餅とお雑煮についてお話したいと思います。
 生活様式の変化に伴って私達の食生活も変わりつつありますが、依然としてお正月にお餅を入れたお雑煮を食べる習慣は根強く残っていますね。どうしてお正月に多くの人々がお餅を食べるのでしょうか。また、それはいつごろから始まったことなのでしょうか。民俗学では、お餅は「ハレの日」、つまり特別の日の食べ物とされています。すべてが新しくなる年の初めにふさわしい食べ物なのでしょうね。また、お正月の祝膳にお雑煮が登場したのは14世紀ごろからと言われています。
 民俗学者として有名な柳田国男は、『食物と心臓』という著作物の中で、九州の福岡や熊本ではお雑煮のことを「ナホラヒ(ノーリヤー、オノウライ)」と呼ぶと紹介しています。「ナホラヒ」とは、神様にお供えした物をその神事のあとで皆で食し、神と一体化しようとする行為を指します。つまり、お雑煮は本来神様に捧げる神聖なものであったということでしょう。
 ところで、一口にお雑煮と言っても、お餅が丸かったり四角であったり、お汁にしても、すまし汁や赤味噌や白味噌汁と、実にバラエティーに富んでいます。
 そこで、私たちの住む三重県をお雑煮の種類によって地域的に大きく分類すると、北勢・伊賀北部・南勢、東紀州ではすまし汁、中勢・伊賀南部では味噌を使うことが多いようです。お餅の形も、南勢志摩や伊賀では丸餅、その他の地域では角餅といった傾向があります。
 全国的に見ると、関東はすまし汁仕立、近畿は白味噌仕立と言われますが、三重県では白味噌に代わって赤味噌が広く用いられています。このことからも、東西の文化が陸と海の両方から伝わってくる三重県では、お雑煮についても東と西の双方の影響を受けてきたと言えるのではないでしょうか。
 最後に注目したい点として、鳥羽市を中心とした地域は小豆汁で、また、伊賀の阿山町では「花びら餅」という、お雑煮専用の丸餅を手のひらで押して花弁状にしたお餅を食べる習慣もあります。これは、いずれも古い形がそのまま今に受け継がれたものでしょう。今日の「三重県の歴史」は民俗学的な見地から三重県の地域を考えてみました。
 さて、今年、あなたのお家のお雑煮はどんなお雑煮でしたか。

(平成5年1月 井上しげみ)

三重県下のお雑煮の分布(『三重の古文化』63)

三重県下のお雑煮の分布(『三重の古文化』63)

参考文献

柳田国男「食と心臓」『定本柳田国男全集』第14巻 筑摩書房 昭和37年
小畠大枝「三重県と伝統料理―お雑煮考―」『三重の古文化』63 三重郷土会 平成2年
『三重です。よろしく!』三重県社会経済研究センター 平成4年

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