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津の生んだ国学者・谷川士清


 勉学の秋、ここで一つ質問します。五〇音順に配列された国語辞典を最初に作ったのは誰だか知っていますか?それは津の谷川士清(ことすが)です。
 一般的に「松坂の本居宣長」と言えば、余りにも有名ですが、「津の谷川士清」という名前は案外知られていないようです。先の質問の答えとして、この谷川士清の名前をあげられる人は果たして何人ぐらいいるでしょうか。
 士清は、宝永(ほうえい)6年(1709)、津の八町で町医者の長男として生まれました。本職は有名な産科医でありましたが、傍ら国語学の研究と執筆に傾倒しました。
 士清の書物で、まず最初にあげられるのは「日本書紀」の全巻を注釈した『日本書紀通証』25巻でしょう。その中でも、第一巻付録の「和語通音」は我が国最初の動詞活用図表であり、国語学史上特筆すべき業績と言えます。また、国語辞典の先駆である『和訓栞』は、全部で93巻ありますが、士清の生存中に全巻の刊行を見ることなく、士清が68歳で亡くなった後、遺族の手によって受け継がれ、実に100年の歳月をかけて刊行されました。
 このように大きな業績を残し、本居宣長とも交流のあった国学者でしたが、津八町の伊賀街道沿いにある谷川士清の旧宅は、長い間放置されてきました。ようやく昭和42年(1967)になって、史跡指定がなされ、昭和52〜54年には旧宅の解体修理工事も行われました。現在は一般にも公開され、奥行きの深い江戸時代の町屋の姿を見ることができます。
 士清の墓は、旧宅の北、安濃川に近い福蔵寺にあり、昭和19年に史跡に指定されています。また、福蔵寺南隣りの谷川神社境内には、士清自身が没する前年の安永4年(1775)に築いた「 反古(ほご)塚」があります。これは、自分の書いた草稿が死後、世の中に散逸して後世の人々に誤りを伝えるようなことがあってはならないという考えから、石の櫃に草稿やメモを納めて地中に埋めたというものです。秋の一日、谷川士清関係の史跡めぐりはいかがですか。

(平成3年9月 池田陽子)

谷川士清画像(津市教育委員会提供)

谷川士清画像(津市教育委員会提供)

反古塚

反古塚

参考文献

谷川士清先生事蹟表彰会『谷川士清先生伝』大日本図書 明治44年
加藤竹男『国学者谷川士清の研究』湯川弘文社 昭和9年
印田巨鳥『谷川士清先生のあと』谷川士清先生顕彰会 昭和31年
谷川士清顕彰保存会『谷川士清小伝』昭和47年

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