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津の祭りに残る唐人行列


 お正月を海外で過ごされる方も随分多くなったそうです。最近は海外旅行が手軽なレジャーの一つになってきましたが、日本には外国に行くことが禁じられていた時代がありました。1600年代の中ごろから1800年代の終わりにかけての約250年間がそうです。徳川幕府が日本人の海外渡航を禁止したのが寛永12年(1635 )ですが、ちょうど、そのころ、津では八幡宮の祭りが始まりました。祭りの中に分部町の唐人行列(踊り)があることは皆さんも御存知のことでしょう。唐人行列とは朝鮮通信使―朝鮮の使節の一行をまねた行列です。朝鮮使節の一行は500人近い人数で、同行する日本人を合せると何千人にも及ぶ大行列をなし、絵巻物や浮世絵に描かれたり、双六(すごろく)などに登場したり、と大きな反響を呼びました。
 朝鮮使節の一行をまねた行列が祭りに取り入れられているのは、津だけでなく、岐阜の大垣でも津と同じころに始められています。豊臣秀吉の朝鮮出兵以来、朝鮮とは国交が途絶えていました。対馬の人々をはじめ、朝鮮との通交を願う人々の努力によって国交回復が実現したのですが、その証(あかし)が朝鮮通信使の来日だったのです。国交回復まもなく唐人行列が各地で生まれたことは、国交回復を人々がどんなに喜んだかをあらわしていると言えるでしょう。
 ところで、朝鮮人のことを唐人と言うのはなぜでしょうか。唐というのは中国の古い王朝の名ですが、唐が滅んだあとも日本では中国を中心とする世界を唐という言葉で呼んできました。ですから、唐人とは現代の外国人とほぼ同じ意味を持っていたのです。16世紀になると、中国を中心とする世界以外の国々、ヨーロッパ諸国と出会い、ヨーロッパを含めた世界を異国と呼ぶようになりました。そして、唐人という言葉は次第に中国人だけを指すようになりますが、その時代に朝鮮人を唐人と呼んだのは、異国の中でも親しい国の人と思っていたからでしょう。津をはじめ、唐人行列は江戸時代を通して続けられ、どんどん立派なものになっていきました。海外渡航を禁じられた日本人が世界への憧れを捨てきれず、異国とのわずかなつながりを大切にしてきたからかもしれません。また、唐人行列を含む八幡宮祭礼の絵巻が現在ニューヨークに渡っているというのも何かの縁を感じます。
 なお、津の唐人行列(踊り)については、昭和31年(1956)分部町に保存会が組織され、翌年、翌々年には行列に使う大幟と唐人踊が津市指定文化財に、さらに平成3年(1991)には県指定の民俗文化財となり、その保存と継承が図られています。

(平成4年12月 鈴木えりも)

唐人行列

唐人行列

参考文献

映像文化協会編『江戸時代の朝鮮通信使』昭和54年
津市教育委員会『津市の文化財』平成元年
樋田清砂「伝統と創意にみちた津大祭」『津市民文化』17 津市教育委員会 平成2年

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