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中世の面影しのぶ北畠氏遺跡


 三重県も桜の名所は数々ありますが、県のほぼ中央部を流れる雲出川の上流にある一志郡の美杉村は、古くから「三多気の桜」で有名なところです。伊勢と大和の境の桜として馬子歌にも謡われ、戦国時代から今まで、多くの人々に親しまれてきました。杉平から密岳山真福院(みたけざんしんぷくいん)までの約2キロの参道には、2,000 株の吉野桜の老木が立ち並び、花どきには多くの花見客で賑わいます。北畠氏全盛の時代には、多気の国司館から山門まで約8キロの道の両側にはおよそ2万株の桜が立ち並んだといわれています。
 今から 600年以上も前の南北朝時代から戦国時代にかけて、およそ2世紀半にわたり、北畠氏の本拠地であった美杉村には、その繁栄を今に伝える数々の遺跡が残されています。真福院の門前には一群の石碑が立ち並んでいますが、中でも高さ2メートルの供養碑には、鎌倉時代の弘長元年(1261)の銘が刻まれています。
 国司北畠氏の館跡は、現在北畠神社となっていますが、境内にある庭園は室町時代の庭園中でもすぐれたものだといわれています。また、「多気城下古図」等の古地図によれば、館のまわりには、家臣たちの屋敷や町人街など、約 3,000戸の家が立ち並び、その周囲に約40の寺が描かれていて、多気の山合いの地に、みちのくの平泉を思わせるような都市の栄えていたことがうかがわれます。北畠氏の治政下にあった約 130年間は、連歌・能楽・茶の湯などの芸能も栄え、伊勢国内でも有数の文化都市として栄えていました。当時の面影を残すものとしては、北畠神社内にある庭園と、そこから西北1キロあたりの山頂に土塁・空濠を残す霧山城址とがあげられます。
 今日は北畠氏にゆかりの深い遺跡についてお話しました。美杉村には、大和と伊勢を結ぶ伊勢本街道等、道すじのいたるところに祖先の残した文化遺産が点在しています。春のうららかな日には、みなさんも身近な文化財に触れ、ふるさとを再発見してみてはどうでしょうか。

(昭和63年4月 小島千津子)

北畠氏館庭園(昭和63年4月撮影)

北畠氏館庭園(昭和63年4月撮影)

参考文献

『美杉村史』昭和56年
三重県教育委員会『歴史の道調査報告書 二−3 (伊勢本街道)』   昭和57年
『日本城郭大系(三重・奈良・和歌山)』新人物往来社 昭和55年

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