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伊勢神宮、遷宮制度の衰退と復興


 式年遷宮の制が立てられたのは今からおよそ1,300年前、天武天皇14年(685)であるとされ、その 第一回式年遷宮は、内宮では持統天皇四年(690)、外宮では同六年に行われたと伝えられています。
 式年遷宮とは、正殿以下すべての社殿や神宝・装束に至るまで、そのすべてを造り替え新調し、新しい正殿に御神体を遷すという祭典なのです。このような祭りがなぜ20年に一度行われるのでしょう。それについては様々な理由が考えられます。一つには正殿などの掘立柱建物の寿命が20年程度であることであり、もう一つには建築などの技術を伝承していくためには20年に一度行うことが望ましいと思われるからです。そして、20年という一つの区切りごとに、すべてを新しくすることによって神が若返り、より強い力で保護してくれることを信じ祈る行為だとも考えられ、神宮の最も重要な行事となっています。
 このように重要な行事ではあっても、南北朝の動乱期には20年に一度という制は崩れ、室町時代には120 年以上にもわたって遷宮が行われないという事態に直面しました。当然、正殿など建物の荒れ様はひどく、神主たちはその後実権を握った織田信長に両宮造営を願い出ました。これに応じて、信長は社殿の造営費用を寄進し遷宮実現に尽力しましたが、天正10年(1582)本能寺の変において倒れてしまいました。そのため、天正 13年の両宮式年遷宮を実現したのは信長の意志を継いだ豊臣秀吉だったようです。
 江戸時代にも徳川幕府がその費用を負担し、20年に一度の式年遷宮が執り行われ、以後順調に遷宮が続けられてきました。
 しかし、第二次世界大戦後の昭和24年の第59回式年遷宮は、戦災復興のさ中であり、昭和28年に延期さ れました。その40年後の今年、戦後3回目の遷宮が行われるわけです。

(平成5年6月 平澤ひとみ)

昭和62年内宮御木曳行事(伊勢市教育委員会提供)

昭和62年内宮御木曳行事(伊勢市教育委員会提供)

平成5年外宮白石持ち行事

平成5年外宮白石持ち行事

参考文献

大西源一『大神宮史要』平凡社 昭和35年
梅田義彦『伊勢神宮の史的研究』雄山閣出版 昭和48年
西川順土『近代の神宮』神宮文庫 昭和63年
『三重県史』資料編 近世1 平成6年
矢野憲一「式年遷宮と伊勢の信仰」『聖域伊勢神宮』 (株)ぎょうせい 平成6年

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