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真盛上人と「十念名号」


 現在、大津市歴史博物館で「西教寺展」が開催されています。西教寺は天台真盛(しんせい)宗の総本山で、三重県からも檀家の人たちをはじめ多くの方々が見学に出掛けているようです。この宗派の基礎を築いた真盛上人は伊勢国の出身で、三重県内には真盛上人の開いた寺やゆかりの寺がたくさんあります。また、今年は彼の500 回忌に当たっていますので、真盛上人についてお話したいと思います。
 真盛は、嘉吉三年(1443)に現在の一志町大仰(おおのき)で生まれました。現在、大仰には明治時代に誕生寺として再興された寺院があり、その入口には昭和13年(1938)県指定史跡となった「真盛上人誕生地」の碑が建てられています。彼は、7歳のときから寺に入り、14歳で剃髪して真盛と名乗るようになりました。19歳から20年間、比叡山で厳しい修行に耐え、権大僧都(ごんのだいそうず)という地位まで登っています。僧侶として、言わばエリートコースに乗っていたわけですが、母の死をきっかけとして、自分自身の栄誉よりも、念仏による救いを説くことに生きがいを見い出したようです。伊勢をはじめ越前や河内にも足を伸ばし、百姓から将軍や天皇に至るまで、様々な人から慕われ、天皇からは上人と名乗ることを許されました。明応4年(1495)、53歳のとき伊賀の西蓮寺で亡くなり、ここに葬られました。
 真盛上人は、ひたすら念仏を唱えて救いを得ることを人々に説く一方、政治を行う者や僧侶には「無欲清浄」であることを求めました。そのころの南勢地方の権力者であった北畠氏を諫めたというエピソードが有名です。
 さて、三重県の中でも一志郡には真盛ゆかりの寺が特に多く、白山町にその中心となる成願寺があります。成願寺には真盛にまつわる数々の宝物が納められていますが、その中に「南無阿弥陀仏」と10回書いて、「真盛上人」と署名した軸が一幅あります。これは、「十念名号(じゅうねんみょうごう)」と呼ばれています。本来は僧侶と信者が互いに「南無阿弥陀仏」と10回唱えて、極楽往生の縁(えん)を結ぶのですが、病気などで真盛のもとに来ることのできない人もいます。そういった人たちにこの「十念名号」を授けて縁を結ばせたのです。これは他の宗派にはなく、真盛独自のものです。何通かの書状とともに「十念名号」という彼自身が書いたものが史料として今日に伝わったわけです。彼自身の文字を見ていると、当時の真盛と信者の姿が史料の向こうに浮かんでくるような気がします。

(平成6年5月 鈴木えりも)

真盛上人画像(称名寺蔵)

真盛上人画像(称名寺蔵)

「十念名号」(成願寺蔵)

「十念名号」(成願寺蔵)

参考文献

天台真盛宗宗学研究所『訳註真盛上人往生伝記』三重県郷土資料刊行会 昭和47年
色井秀譲『白山町今昔噺』白山町教育委員会 昭和48年
『真盛上人遠忌五百回記念 西教寺と天台真盛宗の秘宝』大津市歴史博物館 平成6年

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