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観阿弥創座の地・名張


 今年は、冷夏であったことも影響して、秋の訪れが、早く感じられました。秋と言えば、スポーツの秋・食欲の秋・紅葉の秋と、人それぞれ思い抱かれることと思います。
 今日は、「文化・芸術の秋」ということで、古典芸能の能楽と三重県の関係についてお話します。
 能楽は、笛・太鼓・鼓や謡にあわせて舞う芸能で、猿楽などと言われ、武士たちに愛好されたものです。鎌倉時代、様々な芸能が影響しあって発達し、南北朝時代は近畿一円で猿楽能が盛んで、特に大和の結崎座・円満井座・外山(とび)座・坂戸座といった4つの座の活動が目立っていました。
 中でも、結崎座のちの観世座の観阿弥は、永和元年(1375)ころ、息子の世阿弥と共に京都の今熊野で興行したとき、初めて猿楽を見物した将軍足利義満に大層気に入られ、以来観阿弥・世阿弥親子は将軍家の絶大な支援を受けることとなりました。そして、この親子によって能楽が広められ、大成されたのです。
 それでは、この親子と三重県の関係ですが、世阿弥の次男元能(もとよし)が聞書きをまとめた『申楽談儀(さるがくだんぎ)』という書物には、「一、面のこと………伊賀小波多にて、座を建てそめられし時、伊賀にて尋ね出だしたてまつし面也」という記述があります。これについては、「伊賀小波多にて尋ね出した面」と解釈する学者もいますが、文字どおり読めば、現在の名張市小波田は、初めて座を建てた地、すなわち、一座を組んだ地だということになります。
 どちらの解釈が正しいか断定はできませんが、いずれにしても観阿弥は伊賀国の出身で、観阿弥の妻は小波田で育ったと伝えられており、伊賀とは深い関係があります。
 地元の名張市では、国道165号線沿いの旧福田神社境内に「観阿弥創座之地」の記念碑を立て、11月の第 1日曜日には「観阿弥まつり」を開催し、観阿弥の業績を顕彰しているようです。一度お出掛けになってみてはいかがですか。

(平成5年10月 多上幸子)

名張駅前の観阿弥像

名張駅前の観阿弥像

旧福田神社境内の碑と新築された能舞台(平成7年10月撮影)

旧福田神社境内の碑と新築された能舞台(平成7年10月撮影)

参考文献

中貞夫『名張市史』名張市役所 昭和49年
『日本思想大系24 世阿弥禅竹』岩波書店 昭和49年

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