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多くの使命を果たした旧県会議事堂


 津駅から南に少し行ったところには、ご存じのように県庁舎があります。そして、県庁舎を取り囲むようにして、県合同ビル・勤労者福祉会館・農協ビルなど、いくつかの大きなビルがたち並んでいますが、その一角に、現在、県の第三分庁舎として使用されている古びた建物があり、実は県史編さん室もこの中に入っています。
 今でこそ老朽化が進み、かっての様子をうかがい知ることは困難ですが、今の議会棟ができるまでは、三重県会議事堂として立派に役目を果たしてきたのです。建築されたのは、昭和5年(1930)ですから、ざっと30年余り、この中で議会が開かれてきました。
 なお、終戦後の昭和21年9月から25年8月までは、連合軍三重軍政部として使われ、県会議事堂は、津市桜橋の旧在郷軍人会館に置かれた時期もありました。
 県会開設当時の明治12年(1879)2月には、今の寿町にある願王寺が県会議事堂に使われ、翌年5月からは津城内の建物を借り受けるなどし、明治16年に新議事堂が安濃川畔の、今の三重県総合保健センターの東付近に完成しました。
 そのあと、桃井保憲の設計により、昭和5年3月、今の第三分庁舎である旧県会議事堂が建てられました。現在では、入口の車寄部分に昔の姿を残すだけとなっていますが、建築当時は、一部に半地下階をもつ地上三階建ての鉄筋コンクリート造りの近代建築として、新時代の象徴とでもいうべきものであったと思われます。この建物は、新しい議会棟の完成とともに昭和40年に大改造が行われ、三重県保健衛生センターとして生まれ変わり、その後県の第三分庁舎に転用され、現在に至っています。この秋には、半世紀にわたって県民に親しまれてきたこの建物もとりこわしとなり、六階建ての県民サービスセンター(仮称)が新しく建設され、県史編さん室もその二階があてられる予定です。
 三重県には、明治村に移築されている三重県庁をはじめとして、こうした歴史ある近代建築が数多く残っていますが、これらの建物が次々と姿を消してゆくのはさみしい気がします。

(昭和62年8月 小島千津子)

旧県会議事堂(昭和62年8月撮影)

旧県会議事堂(昭和62年8月撮影)

参考文献

『三重県史』資料編 近代2(政治・行政II)昭和63年
『三重県議会100年』昭和54年

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