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大盛況の四日市大博覧会


 昭和11年(1936)、新四日市港の完成記念と国産振興のために四日市大博覧会が開催されました。会場は、新しくできたばかりの千歳町の埋立地で、広さは約5万坪。開催期間は桜3月から青葉5月にかけての約50日間。入場者数は、当時の新聞の伝えるところによれば 120万人と言いますから、その頃の四日市の総人口の約20倍近い人々でごった返すほどの大盛況でした。
 博覧会場には、日本全国の農工産品を展示する産業館、モーター・発動機・冷凍器などを展示する近代科学館、さらに、特設館として満州館・台湾館・朝鮮館・南洋館・万古館・仏教館など約25の建物が並んでいました。
 建物は各館特色があり、なかでも椰子の葉で葺いた三角屋根の南洋館、百済文化を象徴するような青丹の色美しい極彩色の朝鮮館など、内容の充実とあいまって外観の美しさにも人気がありました。また、仏教館は、奈良の大仏様より約9メートル高いもので、人々を驚かせました。
 博覧会のメーン会場の産業館では、北海道・樺太をはじめ那覇市まで、漆器・織物・竹製品・器機・海産物など、地方色豊かな展示物が陳列され、その数は 143,299点、出品者は 3,721人にも及んだそうです。
 演芸場では、珍しい外国人の踊り、算術をする犬の曲芸、それに奇術、手品、タップダンス、大空からの高とびこみなど、人々をわかせました。港・四日市ならではの余興として、博覧会場の水上施設で、生きた鯨が天高く潮をふきあげる実況も予定されていましたが、輸送中に鯨が死亡してしまうというハプニングもあったようです。
 こうして、四日市市が1年近くの日数と70万円の費用を投じて開催した四日市大博覧会は、大成功のうちに幕を閉じ、欧米諸国の輸入に頼っていた時代から、国産品中心の時代へと大きく変化していったのです。

(平成元年2月 小島千津子)

記念絵はがき袋

記念絵はがき袋

四日市大博覧会仏教館(絵はがき)

四日市大博覧会仏教館(絵はがき)

参考文献

四日市市役所『国産振興四日市大博覧会誌』昭和12年

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