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二・二六事件と三重県関係者


 今日は2月26日。2・26事件がおこったのは52年前の今日でした。
 昭和11年(1936)2月26日、東京は前夜から30年ぶりという大雪にみまわれていました。その雪の中の午前5時ごろ、総理大臣岡田啓介をはじめとする、政府の要職にあった人達が襲撃され、殺害されたり重傷を負わされたりしました。陸軍の皇道派青年将校22名が、下士官や兵士約 1,500人を率いて行った日本近代史上有名なクーデターであり、この青年将校達の中に、三重県に関わる人物がいました。
 それは、岡田首相を襲撃した栗原安秀中尉と、斎藤実内大臣を襲撃した坂井直中尉の二人です。栗原中尉は事件当時29歳で、佐賀県の出身ですが、幼少より三重県で育ち、桑名の小学校から、県立富田中学へ進み、津中学にも1年半ほど在学していました。中尉を紹介した当時の新聞には、学業優秀で友人からも尊敬されていたとあります。また、坂井中尉は事件当時27歳、三重郡桜村の陸軍少将、坂井兵吉の次男で、事件に参加する半月前、宇治山田から花嫁を迎えたばかりでした。
 事件の結末は、将校たちの思惑とは全く違ったものとなり、彼らは「叛乱軍」と言われ、「逆賊」という烙印をおされて、陸軍刑務所に収容されました。そして、彼らの処分は「一審、上告なし、非公開、弁護士なし」というもので、その年の7月5日の判決で17名が死刑を言い渡され、12日に執行されました。その中には、栗原中尉と坂井中尉も含まれていました。あとに残された栗原玉枝夫人は23歳、坂井中尉の孝子夫人は20歳でした。
 2・26事件の青年将校たちは、自分たちの行動が国のためになると確信していたのでしょう。もちろん、彼らの行為は、称賛されるべきものではありませんが、彼らが純粋であっただけに、大きな歴史の流れの中で考え、悩み、一大決起せざるを得ない状況に追い込まれたのでしょうか。また、大義名分がたてば、たとえ暴力によってでも社会を変革することもよしとする風潮が、その背後にあったことも否定できないでしょう。
 この事件の翌年には中国との全面的な戦争が始まり、さらに太平洋戦争へと進んでいくことになります。この機会に、平和と民主主義について考えてみるのも意義深いことではないでしょうか。

(昭和63年2月 山下みどり)

2・26事件

2・26事件

参考文献

高橋正衛『2・26事件』中央公論社 昭和40年
澤地久枝『妻たちの2・26事件』中央公論社 昭和47年

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