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第一回全国野球大会へ宇治山田中学校出場


 現在、県下各地の球場では、第68回全国高校野球選手権大会の出場権をかけて、これまで最高の67校の高校球児たちによって熱戦が繰りひろげられていますが、今日は、この全国大会が初めて行われた時の、三重県勢の活躍の模様を紹介してみましょう。
 今の全国野球選手権大会の前身は、大正4年(1915)に、朝日新聞社が主催した第1回全国中等学校優勝野球大会でした。この時の出場資格は、各府県連合大会の優勝校に限られていたため、三重県勢が、全国大会に出場するためには、愛知・岐阜両県の代表校各2校を加えた六校が出場する東海大会で優勝することが必要でした。その東海大会は、大正4年(1915)に、三重県立第二中学校、現在の四日市高校で行われました。三重県を代表して出場したのは、県立第二(富田)中学と県立第四(山田)中学、現在の宇治山田高校でした。山田中学は、前年の東海大会で優勝した余勢をかって、1回戦で岐阜中学を4対1、2回戦で富田中学を15対3と連破し、決勝戦では苦戦の末に豊橋中学を5対4で破って東海代表の座を獲得したのですが、球児たちには思わぬ障害が待ち受けていました。それは、県が中学校の県外での試合を禁止しているのを理由に、学校側が職員会議で「全国大会出場はまかりならぬ」と決めたことでした。そこで、この決議を聞いた野球部の先輩たちは、学校へ続々詰めかけ、粘り強い交渉をした結果、学校側はようやく全国大会への出場を認めました。
 さて、第1回大会は、8月18日から5日間の予定で、大阪・豊中球場で開かれました。その出場校は、たった10校で現在の49校とでは随分違います。郷土の代表である山田中学は、初戦で東北代表の秋田中学と対戦しました。予想では、東海代表は全国的にもレベルが高いから、「山田中学有利」の声が高く、選手も「練習不足の雪国チーム秋田中学など問題ではない」といささか天狗気味。ところが、試合では秋田中学の投手の球は速いうえ、山田中学の投手は肩痛のため、注射をうって出場する始末で、試合は9対1で敗れてしまいました。なお、秋田中学はこの勝利で波に乗り決勝戦まで進みました。

(昭和61年7月 山口千代己)

野球大会

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参考文献

三重県立第四中学校々友会『校友』第18号 大正4年
『宇治山田高等学校90年史』平成元年

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